サントリー美術館で2022年6月29日から開催された「歌枕」展。「歌枕って何?」「何となく聞いたことあるような、ないような…」という人もいるかもしれません。
そんなぼんやりとしたイメージの「歌枕」という言葉を、ストレートにタイトルにしたこの展覧会。そのストレートさがかえって興味深く、たまたま休みが取れたので、展覧会の初日に行ってきました‼
知らないけど知っているーーー「歌枕」が紡いできた”美の風景”に出会える展覧会をご紹介します。
歌枕って?
「歌枕」は、古くは和歌に使用される言葉全体を指し、地名はその一分野に過ぎませんでした。しかしその後、それらの地名は繰り返し詠み継がれることで特定のイメージが定着し、自らの思いを表わすための重要な言葉や技法として、歌人の間で広く共有されるようになります。そうして歌枕は、平安時代末ごろには「和歌によって特定のイメージが結びつけられた地名」の意味に限定されるようになりました。
展覧会章解説より抜粋
元々和歌に使われる言葉全体を指していたのが、次第に「特定のイメージがついた地名」を意味する言葉として「歌枕」という言葉が定着していきます。代表的なものが「吉野の桜」「龍田川の紅葉」。繰り返し繰り返し用いられることで、「土地(場所)」と「イメージ(情景、情緒)」が分かちがたく渾然一体となっていきます。
この展覧会では、そうした特定のイメージが定着した場所ーー「歌枕」が、人々の間でどのような形で親しまれてきたのかを、書、絵画、工芸など様々なジャンルの作品を通してみていきます。
展示構成
展示は5章構成で展開していきます。私なりの見どころ、感想を交えながら、各章について紹介します。
第1章:歌枕の世界
第1章の「歌枕の世界」では、展覧会全体のイントロダクションとして、歌枕として代表的な場所を描いた大画面の作品が展示されています。
「吉野=桜」「龍田=紅葉」「宇治=柳・橋・水車」「武蔵野=ススキ・平原・月」といったように、人々は「このモチーフが描かれていれば、つまりこの場所は〇〇」といった約束事が共有されていました。そしてそれらの風景は、実際の風景を写実的に描くのではなく、より強調されるように植物は満開に咲き誇り、あるいは厳選されたモチーフは画面の中で効果的に配置されるなど、視覚的な効果を狙って様々に工夫されています。
美しい光景に身を浸せ!話はそこからだ!
第1章の鑑賞のポイントは、とにかくその美しい景色に浸ること!!話はそれからだ!…と言わんばかりに、眼に鮮やかな見ごたえのある作品が並びます。前期の展示は《柳橋水車図屛風》(京都国立博物館)、《吉野図屛風》(サントリー美術館)、土佐光起《春秋花鳥図屛風》(サントリー美術館)、山本探川《宇津の山図》(静岡県立美術館)が展示されています。
ここで「吉野山は桜なのね。ふーん」で終わらせるのはもったいない。大画面だからこそ、絵師は鑑賞者に没入感を与えるための工夫、パッと見た時に一瞬にして目を惹きつけるような仕掛けを様々に施しています。ここではそうした部分に注目しながら「歌枕とはどんな世界か」を全身で体験していきましょう!
《柳橋水車図屛風》は、六曲一双の屏風にまたがって大きく描かれた橋、画面右手前にシルエットのように描かれる柳の枝、という構図が大胆な作品です。その構図の面白さが目を引きますが、実は細部の金雲の表現のバリエーションが面白い作品です。小さい正方形の金箔をモザイクタイルのように貼っている部分もあれば、それより大きめの箔をランダムに敷いている部分もあります。また月は盛り上げて物理的にも存在感があります。大胆な構図と対照的に、金雲の表現には細かく変化をつけることで、大味にならないようにしている、絶妙なバランス感覚が冴えた作品でした。
サントリー美術館の《吉野図屛風》も金雲の合間から覗く桜の木と、流れる川の上に舞い散る花びらが幻想的な光景。興味深いのはこの作品に関しては、咲きほこる桜というよりは、散り行く桜の方に主眼が置かれているように感じたこと。図録の作品解説によると『新古今和歌集』の「吉野川岸の山吹咲きにけり 峰の桜は散りはてぬらむ」(『新古今和歌集』巻第二・藤原家隆)を彷彿とさせるとあります。
ちなみに「なぜ私たちは散る桜を美しいと思うのか」ということに切り込んだ本もあるので、展覧会を見た方はこちらもおススメします。歌人の水原紫苑さんが、万葉集から桜がどのような植物として謳われてきたかを歌人だからこその解釈を含めて論じた一冊なので、歌枕展から派生して読んでみてはいかがでしょうか。
第2章:歌枕の成立
前述の通り「歌枕」とは元は和歌の言葉全体を指していましたが、次第に「和歌において特定のイメージが定着した地名」としてその意味は限定されていきます。和歌に地名が入る事は『万葉集』の頃からありますが、「歌枕」とは、その歌語(和歌における意味や用法を持つ語)として登場し、また広く共有されているという事が条件になります。
そして、その上で重要であったのが『古今和歌集』といった勅撰集(天皇の勅命によって編纂された和歌集)でした。この章では、まさに「歌枕」という概念、そして各地のイメージを形成していく源となった、平安時代の古筆(書)を見ていきます。
和歌の意味だけでなく、書体、紙(料紙)の装飾、表具にも注目!
基本的に会場内のキャプションは和歌(歌枕)に関連した説明が中心なので、誰が書いた書なのかというところは、今回は表だって説明はされていません。しかし、平安時代の古筆(色紙などに認められた書)を見る時は、その書体の雰囲気も味わいたいところ!
かしこまった硬い字なのか、流れるように書かれているのか、その配置の仕方も含めて全体の雰囲気も感じたい。また料紙装飾(紙に施された装飾)も金銀泥で華麗に装飾されていたりと、色紙一枚といえども、贅が尽くされた逸品。
あとこれは私が茶道を習っているからという事もあるけれど、そうした色紙の周囲を飾る表具(表装)までできることなら味わいたい。寸松庵色紙「ちはやふる」(京都国立博物館)の表装は、色紙の瀟洒な雰囲気に対して中廻しの花鳥の刺繍?の装飾がアクセントになっていて、表装した人のセンスが光る作品。
第3章:描かれた歌枕
和歌を詠むための技法の1つであった「歌枕」は、早くから絵画とも結びつきます。10世紀には屏風歌(びょうぶうた)として屏風絵に和歌が添えられており、絵の世界を和歌が補い、想像を膨らませて楽しんでいたようです。屏風歌は11世紀には廃れてしまいますが、歌枕によって形成された「土地とイメージの結びつき」は、絵画の世界で形を変えて連綿と受け継がれていきます。
例えば、《源氏物語絵巻 関屋》(徳川美術館)では、光源氏と空蝉が逢坂関で出会う場面が描かれており、従来の「逢坂関=恋人が逢瀬をする場所」というイメージを踏まえており、だからこそ源氏と空蝉の二人の運命が一層引き立ちます。また『古今和歌集』以降、『伊勢物語』が広まると、「宇津山」といった『伊勢物語』に登場する場所が”歌枕”的に認知されていき、新たな歌枕が生まれるようにもなります。
第3章では、平安時代から江戸時代にかけでどのような形で「歌枕」は描かれてきたのかを紐解いていきます。
『源氏物語』や『伊勢物語』などの世界も入り込む
ここで私が少し「歌枕」の世界について混乱してしまったのですが、和歌の世界に醸成された「歌枕」イメージとは別に、『源氏物語』や『伊勢物語』がまた新たなイメージを作っていること。
『源氏物語』では、既に「歌枕」として共通認識されていたイメージを利用して、それを踏まえた上で物語中の和歌で登場人物が歌を詠んだり、前述のように絵画化される時に「歌枕」が格好の舞台として用いられます。つまり「歌枕」のイメージに、さらに「源氏物語」のイメージが加わる二重構造になっています。
一方『伊勢物語』では、宇津山のように新しい歌枕が生まれたり、富士山のイメージが、元々あったものから”伊勢物語”によるイメージへと転換されるなど、「歌枕」と「物語」の世界が様々な形で融合しています。
この章は「絵画化された歌枕」といってもそのあり様は多様で、整理がしづらい点かもしれません。しかし、それこそが「歌枕」というイメージの源泉が枯れることなく、物語を作る作者、絵を描く絵師の中に浸透し続け、新たな芸術の礎になっていることの表れでもあります。
第4章:旅と歌枕
歌枕によって、人々は現地を知らなくても(訪れなくても)、その場所のイメージを持ち、共有することができましたが、逆に現地への憧れを強くすることにもなります。例えば、出家後に全国を旅して多くの和歌を残した西行法師。その西行法師の生涯を描いた《西行物語絵巻》では、各地の歌枕の場所を訪れている西行の姿が描かれています。
そしてこうした「歌枕への旅」によって、実際の光景に則した(取り入れた)和歌が詠まれるようになったりします。あるいは「定着したイメージ」と「実際の光景」とのギャップをどうするかという問題が発生することにもなります。
富士の峰に煙が…断たず?立たず? その一例が「富士山」。歌枕としては「富士=煙(”思ひ”と”火”が掛詞となり噴煙につながる)」で富士から煙が出ている光景が表されますが、『古今和歌集』の序に記された「富士の峰に煙がたたず」の「たたず」が「断たず(=煙が出続ける)」のか「立たず(=煙が出ない)」のかという問題があったとのこと。 《一遍上人絵伝》には2か所富士山が描かれていますが、一方は煙が出ており、他方は煙がないということで、解釈の揺れなのか、誤りなのか、いずれにせよ人々がイメージと現実との間を行き来している様が感じられます。
また、実際にその場所を訪れる者がいれば、浮世絵のように歌枕の場所を江戸の風俗に置き換えて「居ながらにして旅をした」実感を与えるような作品も生まれました。第4章では、そうした旅と歌枕の関係を辿っていきます。
「歌枕」は昔の人にとっての”聖地巡礼”の「聖地」⁉
鑑賞中、第2章の章解説の中で「歌枕とは‥‥想像上の名所」という説明があったのを見て、
「…今で言うと漫画とかの”聖地巡礼”の”聖地”ということでは?」
ふとそんな風に思ったのですが、「いやいや和歌だし…巡礼してないし…」と思っていたら、西行さん巡礼してた!!これはもう立派な”聖地巡礼”だわ!!(笑)
そんな西行さんに、私の思いつきの考えのお墨付きを頂いた気になり、調子に乗ってさらに考えてみれば、「歌枕」を現代に置き換えるなら、J-POPで「桜」といえば「卒業ソング」「お別れソング」的なイメージが定着しているようなものかもしれない。
地名にまつわるものといえば、「桜坂」や「津軽海峡冬景色」などなど…。それらは、単に「風景がきれい」という景勝地的なことで歌の舞台(タイトル)になっているのではなく、恋心や寂寥感、孤独感といった、何かしらの抒情的な文脈を持った、あるいは特定の感情(イメージ)を引き出す場所として、広く一般に共有されています。そうすると、これらはもはや「歌枕」と言っても、あながち間違いではないのではないでしょうか。
そして、その土地への憧れを抱かせ、旅をさせる原動力にもなり得るということであれば、漫画やアニメ、ドラマなどのコンテンツ(による特定のイメージ)と結びつく場所、いわゆる「聖地巡礼」の「聖地」もまた現代版「歌枕」と言えるのでは?…と言いつつも、『源氏物語』や『伊勢物語』に匹敵するような例が思いつかないのだけど…。(一定の年齢以上の人には、北海道の富良野に郷愁を感じるのが一番近い例かしら??)
そう思うと展示作品で見られる旅をする人々の姿にも親近感がわいてきますね。
第5章:生活に息づく歌枕
絵画では「歌枕」の世界観を踏まえたものから、その土地の名物を描く「名所絵」がその主流となっていきますが、工芸の世界では根強く歌枕の世界が息づいています。身の回りを整える調度品の数々にさりげなく「歌枕」の美意識は息づき、人々の生活を美しく彩っていました。
第5章は、展覧会のハイライトとも言える、そうした工芸作品の展示となります。いくつかのモチーフで特定の場所を象徴させる歌枕は、工芸の世界ではデザインとして抜群のイメージソースとなりました。
展覧会では、書くという行為が特に歌枕(和歌)と強く結びつくことから「硯箱」を中心に、「手箱」など調度品が多く展示されています。それらの作品からは蓋や蓋の裏に歌枕の光景が斬新に表されたり、手の込んだ装飾が施されたりと、美の粋を尽くそうという並々ならぬ思いが感じられます。
また茶道具の茶入では、釉薬によって偶然生まれる景色を歌枕の光景に見立てるなど、道具を扱う者の美意識の根底には、歌枕が強く存在していました。
前期イチ押し!「長柄橋蒔絵硯箱」
この展覧会、展示されている作品どれも素晴らしいのですが、私が一番「おぉ!!」と思ったのが、《長柄橋蒔絵硯箱》【展示期間:6/29~7/25(前期のみ)】。
図録の解説によると、長柄橋は摂津国の淀川に掛かっていた橋で、何度も崩壊・再建を繰り返したことで、「古いもの」「壊れたもの」を意味するようになったとの事。そして『古今和歌集』の仮名序では「長柄の橋もつくるなりと聞く人は」と取り上げられ、歌人の憧れとなります。さらには、その長柄橋の橋杭で作った文台を後鳥羽院が和歌会で使用したとか、柿本人麻呂像の前にその文台を置いて和歌を披構させたなどの逸話が残っています。
そうした聖遺物のような存在となった長柄橋の橋杭で文台や硯箱を作ることが行われたとのことです。
その一例である展示の《長柄橋蒔絵硯箱》ですが、木の板を蓋の天板にするあたりがオシャレ!しかも、縁の周囲は金で装飾的な文様を施しているところが、瀟洒で素敵な作品。こういうとこ!!このなんてことないような素振りで、細やかに装飾する感じがたまらない。
そして裏を返すと蒔絵装飾が施されるニクイ作りになっている。蓋裏には松が生えた岸辺に家や舟が描かれ、荒々しい水面から長柄橋の架かっていた橋杭が頭を見せる。歌の表が橋杭で、その裏に浪(岸辺)の絵、そして水柱が舟形をしており、硯箱全体で、長柄橋とその下を流れる淀川のイメージが立体的に表現されています。
そして蓋裏の絵の上部には、「君が代に今もつくらむ摂津の長柄の橋や千度渡らむ」の和歌が蒔絵で施されており、いつまでも続く御代の願いという”聖遺物”的な長柄橋のイメージがさらに強調されています。
さいごに
この動画の最後に出て来る一言「どうしたらそこにいけるのだろうか」。
時を越えて繰り返し繰り返し詠まれ、表されてきた「歌枕」の風景ーー。現実世界でその場所ともまた違う「歌枕」の世界は、桃源郷のようでもあり、あるいは遠い昔の記憶の中で、具体的な道順は覚えていないけど強烈に印象に残っている風景のような気もしてきました。
知らないけど知っている。見たことないけど見たことあるーーそんな感じで、書や絵画、身の回りの品々を通して、人々の記憶に、心に刻み込まれた風景こそ「歌枕」の世界なのかもしれません。
ぜひこの夏は、あなたの知らない心の風景ー「歌枕」の世界を旅してみてはいかがでしょうか。
展覧会の概要
「TOPコレクション メメント・モリと写真 死は何を照らし出すのか」展
場所:東京都写真美術館(恵比寿)
会期:2022年6月17日(金)~9月25日(日)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
開館時間:10:00~18:00(木・金曜日は20:00まで、図書室を除く)
入場料:一般 700(560)円/学生 560(440)円/中高生・65歳以上 350(280)円
展覧会HP:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4278.html
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