東京都美術館で開幕した「スウェーデン絵画展」。取材で訪問したのだが、これがとても充実した展覧会だった。すでに私の「今年の年間ベストテン」に入賞すること間違いないだろうと思えるほど。
※執筆した記事はこちら。

ブログでは取材記事では書ききれなかった魅力を紹介する。
スウェーデン絵画のABC
展覧会でも「スウェーデン絵画のABC」として紹介されている、アンデシュ・ソーン(Anders Zorn)、ブリューノ・リリエフォッシュ(Bruno Liljefors)、カール・ラーション(Carl Larsson)。それぞれの名前の頭文字を取って、そのように親しまれている。
アンデシュ・ソーン(Anders Zorn)

この《編物をするダーラナの少女コール=マルギット》はスウェーデンで最も有名で、繰り返し複製イメージが作られた作品とのこと。失われつつあるダーラナ地方の舞踊や音楽、衣装、そうした文化(営み)を護ろうとした画家の思いがひしひしと伝わるようだ。

こちらの《故郷の調べ》は画家の最晩年の作品。大ぶりな筆がかえって作品の力強さにつながっている。左目のきらりと光る眼に強い意志を感じるが、よく見れば右目は(陰っており明瞭ではないが)悲しげな眼差しである。右目で失われていくものを憂い、左目でそれに抗おうと前を見据えているのか。
ブリューノ・リリエフォッシュ(Bruno Liljefors)
ブリューノ・リリエフォッシュは、動物画家を志し、様々な鳥や動物たちを描いた画家。若冲好きな私としては一番リリエフォッシュが好みかもしれない。

撮影ができなかったのが残念だが、リリエフォッシュなら《カケス》や《4種の鳥の習作(セアカモズ、ウズラクイナ、ズアオアトリ、キタヤナギムシクイ)》が良かった。
(画像は下記Xの投稿の3枚目の写真を参照)
特に後者は、金の額縁に4つのスケッチを収めた作品だが、日本の襖絵や屏風絵に見られる「貼交」を意識しており、こうした事例はほかにもあるようだ。本作を見た時に「日本の花鳥画っぽい(若冲っぽい)な」と感じた私の直感は間違っていなかった。

一見すると抽象画のようだが、水の中を泳ぐケワタガモの群れと水の流れが端的に表現されている。
カール・ラーション(Carl Larsson)
展覧会のメインビジュアルを飾ったカール・ラーション。彼が得意としたのが、自身の家族の日常風景を描いた水彩画だ。本展では画家の名前を一躍有名にした画集『ある住まい』から《キッチン》(東京会場のみ)と、油彩画の《カードゲームの支度》などが展示されている。

とにかく「リッラ・ヒットネース」(スウェーデン語で「岬の小さな家」)と名付けられた画家の住居がオシャレ!!!!おそらく「丁寧な暮らしがしたい」と思う人の理想が詰め込まれたような内装。センスしか感じられない。

水彩画が特に線のシャープさと、水彩の淡く丹念に塗り重ねられた色調がやさしく、家族の日常という穏やかな光景と相まって、見るだけで幸福感が高まる。
幻想の世界
日常生活の喜び、スウェーデンらしい自然風景、そうしたものが主題になる中で、当然のように自身の内面世界や虚構の世界を描く画家も現れる。
個人的にびっくりしたのが、下の2点の作品。

1887年頃、油彩・カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵

1880年代、油彩・カンヴァス スウェーデン国立美術館蔵
少し遠めからみたら、大きなモノクロ写真のよう(特に右の作品)で、虚構の世界のはずなのに、リアリティがある。しかし「モノクロ写真のよう」という感想を持つのは当然で、画家はモノクロ写真で撮影した際に細部まで表現できるように、色彩を極力使わずに描いた作品なのだ。
今なら写真をカラー⇔モノクロの変換などタッチ1つでいかようにもできるが、それを絵筆でやる気の遠くなる作業。

こちらも太古のヴァイキング船を描いた作品なのだが、まるで実景を描いたかのようなさりげなさ。本展の冒頭を飾ったニルス・ブロメール《草原の妖精たち》(作品画像はこちらを参照)もそうなのだが、スウェーデン絵画は神話・歴史上の物語(虚構世界)と現実世界の距離が近い気がする。妖精や勇者、古代の文物がまるですぐ隣にいるような感覚で描かれている。それは北欧の人々のもつ民族性なのだろうか。
何事も主語を大きくして一把ひとからげにものを言うのは慎むべきなのだが、そう言いたくなるのも、やはり展覧会全体を通して、イタリアやフランス中心のいわゆる「美術史」の中にあった美意識とは微妙に異なるものがある。

右下の人物は画家の自画像ではないかと指摘されている。
《恍惚とした人々》は、見た瞬間に「『進撃の巨人』の巨人みたい」と思ってしまって、もうそれにしか見えない。ヨーセフソンはサロンへの落選や仲間との衝突から疲労が重なり、精神に支障をきたした。医師の勧めで絵を描き続けるが、その内容は歴史、文学、宗教上の人物など。絵の中の人物たちは何に恍惚と浸っているのかは不明だが、その表情から不安が掻き立てられる。

右:アウグスト・ストリンドバリ《嵐の海、目印のないブイ》 1892年 油彩・厚紙 スウェーデン国立美術館蔵

海の風景を描いたストリンドバリ。独学で絵を描き始めた画家の特徴は、ペインティングナイフで即興性ある表現。1890年代には荒々しい海を描いた作品を手掛けたが、1903年以降は、凪いだ穏やかな風景を描いた。

スウェーデンらしい自然風景
展覧会の最後の章は、画家たちが自らのアイデンティティを母国に求め、スウェーデンらしい風景を探求した様相を展観する。個人的にはこの章の風景画がもっとも幻想的で不思議な空間だった。


私にそう感じさせた主犯は、グスタヴ・フィエースタードのこの2つの作品だろう。雪景色を得意とした画家で、《川辺の冬の夕暮れ》では、厚く降り積もる雪のもっさりとした量感が独特なタッチで描かれている。《冬の月明かり》では、雪の川辺の風景で、静かに波紋が立つさまが描かれているが、その波紋のささやかな揺れ具合が、寡黙ながら偏狂的な感じがして引き込まれる。

エウシェーン王子は、スウェーデン国王オスカル2世の末子であり、スウェーデン絵画の黄金期を代表する風景画家。人気のない湖と厚く覆われた雲のすき間からわずかに見える黄昏時の夕陽の赤が効いている。1日の時間の中でもわずかな時間しか見ることのできない一瞬の光景のはずだが、なぜか永遠のように感じられるあの不思議な感覚が、この絵の前でも感じられる。私はスウェーデンにはまだ行ったことがないのだが、不思議とこの光景はすでに知っているような気にさえなる。自身の内にある郷愁の思いが共鳴しているのだろう。

本当は、写真撮影NGエリアの前半にも、たくさん見どころの多い作品があったので、各章の面白い作品をまんべんなく紹介できないのが残念。でもこれだけでもスウェーデン絵画が、いわゆる「美術史」の中で語られてきた「美」と違う感性で育まれてきたかが感じられるだろう。
色々展覧会には足繫く通っているつもりだが、まだまだ私の知らない「美の世界」があるのだと痛感させられた。素晴らしい展覧会でした!

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