ソロの後、青い照明がしばらく客席を照らした後、この武道館ライブの核となる楽曲の1つ「色気3部作」となる。
色気3部作
衣装は「s**p」 でも使用したニュアンスカラーのセットアップで、『Spinship feat. VivaOla』 が始まる。MVで見るよりも、ライブではパフォーマンスに湿度を感じさせる。囁くようなVivaOlaのハスキーで甘美な声が耳を奥をくすぐり、時折見せるフワッと足を上げる振りなどで心の奥がムズムズとしてくる。生命の「芽吹き」をテーマにした楽曲だが、 1つ1つの手の仕草、足の運びの優しいニュアンスは、芽吹いたばかりの植物や幼子の、やわで、無垢で、愛おしい姿を見た時の、慈しみのような、ついじっと見つめてしまいたくなる時のあの感情に似たものを湧き起こさせる。
続く『Biotope feat. claquepot』では、ゲストのclaquepotが登場。4人の間に立ち歌い始める。冒頭はそれぞれが違う動きをするのだが、これまでは独立して見えていたそのシーンが、センターにclaquepotがいることで、彼の言葉によって動き出すという、今までみたパフォーマンスでは感じたことのない気流が生まれていた。伸びやかで包み込むような声に促されて、本当に植物がどんどん成長していくようなエネルギーの流動だ。
後半になるとclaquepotが後ろに下がり、セリが上がり、彼の眼下で4人が踊る構成となる。シッキンがゲストボーカルとコラボする場合、大体この構図となるのだが、受け取る印象が違った。これまでは激しい曲が多かったので、上からの歌に突き動かされるように4人が踊る印象だったが、この曲では中央で歌うclaquepotの周りに寄り添うような印象だった。それはラストに彼らの背後に流れる映像の力も大きい。廃墟のような建物の中で植物が床一面に生え、育っていく様子が流れ、小さな光が立ち昇る。小さな小さな命の輝き。 そのかぐわしい世界の中で、光を求めて動く4人の姿が、指先が、愛おしい。
そして色気三部作のラスト『Ignite feat. Doul』。寒々しい程の白い照明、スモークも焚かれて不穏な空気が立ち込める。枯れゆく中での生命力をテーマにしており、これまでのシッキンの作品にはないダークな世界となる。「朽ちてやがて死ぬ」という永久不変の真理に抗うようでもあり、あるいはその真理を司る「この世のものならざる何か」のように、妖しく、不気味に、うごめく。「釘付け」という言葉ではたりない。張りつめた空気は、私の身体中の一切を支配し、私から声を奪い、瞬きすることを奪い、微動だにできなかった。
『No End feat. 三浦大知』
だからこそ、その直後に三浦大知が現れたという興奮に、とっさに対応できなかった。特に2日目。この流れで三浦大知が登場することは1日目に見ていたから分かっていたはずなのに、2日目はこの『No End feat. 三浦大知』で溢れ出る涙を抑えることができなかった。『Spinship』『Biotope』で体内に蓄積されたエネルギー、そのエネルギーを蓄えたまま『Ignite』で仮死状態となっていた。その仮死状態が『No End』で一気に解き放たれた。生きることのエネルギーを爆発させることができることに、「今」という瞬間に100%、120%でいることの喜びに、涙が止めどなく溢れた。
2年前の武道館では、この曲が全体の核となっており、だからこそ三浦大知が現れた時は神が降臨したかのような神々しさと、その声で踊る4人の気迫に鬼神のような厳かさを感じたが、今回はいい意味で、そうした観る者を圧する空気はなく、「人間」としてひたすらに生きている姿を見た。
エネルギーを放出させた後、どうなっていくのかと思いきや、Oguriがおもむろに会場の下手に動き出す。そして…
ソロメドレー
ここから4人のソロとなる。過去の舞台で使用した楽曲や自身がプロデュースした楽曲をそれぞれ1フレーズずつ踊っていく。いずれも内容やメロディが切ないものを選んでおり、先ほどの『No End』と対照的な展開だ。 Oguriが『炎 feat. さらさ』を踊ると次は舞台の上手でshojiが『BEST FRIEND feat. 荒谷翔太』を踊り、続いてNOPPOが『足取り feat. 大石晴子』、kazukiが『Balloon feat. 上村翔平(THREE1989)』を踊る。
それぞれが、別々の場所で、別の形で、悩んだり、傷ついたり、虚しさを覚えたり、やるせなさに打ちひしがれたり…。孤独で、不安で、苦しい時間。
そんなパフォーマンスの後、4人が1人ずつ語り出す。シットキングスとしての18年の歩みは、たくさんの仲間と出会い、機会に恵まれた幸せな時間だった。だけど同時に、自分たちのチャレンジを挫(くじ)く言葉に傷ついたり、壁を感じたりもしたことを語り出す。
そうしてできてしまった「傷」や「しわ」。でもその「傷」や「しわ」も含めて、シットキングスの姿。だから、あなたの人生も、「傷」や「しわ」 ができるかもしれない。でもその姿は、あなた自身の人生は、「美しい」と信じてほしい。
そう言葉で伝える。まっすぐに。
そうして再び4人がステージの中央に揃ったとき、ステージが大きく変わる。ずっと両サイドにあったオブジェは中央へ動き、1本の幹となり、大きな樹が現れる。
床から天井へと向かって浮遊する光の粒の中で4人のシルエットが浮かぶ。そうして始まるのは、『Believe In My Soul feat. 笠原瑠斗』。今年の舞台『See』でも、何が正解か分からず藻掻き続ける4人が見つけた「答え」として披露された曲だ。「自分を信じて」というメッセージは、舞台では「シッキンがシッキンであること」を信じることを歌っていた。
そして舞台を超えて、s**t kingzが今伝えたいメッセージとして、新たな使命を持って見る人の心に訴えかけてくる。
「あなたは、あなたを信じて」と。そうして生きるあなたは「美しい」と。
『愛が呆れ果てるまで feat. 三浦大知, SKY-HI』
もう感情が溢れるほどのメッセージをもらった後なのに、シッキンはさらに溢れるほどの愛を届ける。とうとうここで『愛が呆れ果てるまで feat. 三浦大知, SKY-HI』が解禁となった。盟友である 三浦大知, SKY-HIの2人とのコラボは、発表時からファンの間で期待が高まった。事前に公開された音源やMVでは、スキルフルな6人がやさしくピースフルな世界を表現していたことに驚いた。
テレビなどで披露した際、しばしばshojiが「空(SKY-HI)と大地(三浦大知)に囲まれて(包まれて)踊れて幸せ」という風にコメントしていたが、実際のライブでは、「包まれて」のようなニュアンスでは全然なかった。両者に挟まれて4人が踊るシーンなどは、両サイドの2人の声から、凄まじい引力を感じた。気を抜いたら吹っ飛ばされそうな、強力な磁力が発生している中で4人が踊っている印象だった。もちろん曲自体の多幸感は存分にあるのだが、それと同等の力で別次元の世界が生まれていた。
MVやテレビでのパフォーマンスを見た時、これは「詠み人知らず」「踊り人知らず」な歌になっていくんだろうな(なっていってほしいな)と思っていた。
『万葉集』など古代の歌集にしばしばみられる「詠み人知らず」。作者は分からないが歌が良いから採用したという場合に「詠み人知らず」と記される。かつてテレビで松任谷由実が目標のようなことを聞かれた時に「詠み人知らずになりたい」と答えているのを見て、「日本で誰もが知っている歌い手が願うことは”詠み人知らず”になることなのか」と衝撃を受け、印象に残っていた。
三浦大知とSKY-HIが歌い、シッキンが踊る。手練れたちによって生まれたピースフルな歌は、彼らがいなくなった世界でもどこかで、歌われ、踊られている。そんな気がした。
…のだが、武道館で実際にパフォーマンスを見たら、「この6人にしかできないことだわ!」と打ちのめされた。照明などの演出の違いはもちろんあるのだが、なにより生の歌声、生のダンスがもつ「説得力」、私が先ほど引力と表現したのは言い換えれば「説得力」だろう。
でもやっぱりそのうち地球上のどこかで、誰かかふと口ずさみ、思わず身体を揺らす、そんな「詠み人知らず」「踊り人知らず」になっていってほしいと願わずにはいられない。
連歌的な構成、本歌取り
さて、この「色気3部作」⇒『No End』⇒切ない楽曲のソロからの『Believe In My Soul』、『愛が呆れ果てるまで』の一連の流れを見た時、「ああ連歌みたいだな」と思った。
連歌とは複数人で和歌を詠み合うもので、1人が上の句(5.7.5)を読むと、次の人が下の句(7.7)を詠む。その下の句から連想してまた別の人が新たな上の句(5.7.5)を詠んで…と歌を連ねていく形式の文芸だ。
1つの句が次の句を誘発し、さらにそれが次の新しい世界を創る。「色気3部作」は3作がそもそも連作だから言う間でもなく、その次の『No End』は本来「色気3部作」と関連はしない。しかしこの流れで披露されることで、私が感じたような「爆発する生命力」「生きる喜び」というメッセージを持つ。そして、その「句」は次に、「人生における”傷”や”しわ”」という「句」につながる。その現実を受けとめ、前を向くためのテーゼとして『Believe In My Soul』。『Believe In My Soul』は「個」にフォーカスされたメッセージだが、それがラストに『愛が呆れ果てるまで』で「個」を超えて、「世界」へと視野が広がり、その世界に向けた「愛」を歌い上げる。
本来独立しているパフォーマンスが一連の流れを作る、連歌的だ。さらに言えば、この部分の4人のソロは「本歌取り」の手法と言えるだろう。本歌取りとは、和歌において、元々詠まれていた有名な歌の一節(世界)を引用するなどして、新しい歌を詠む手法だ。
元々は舞台だったり、アルバムの収録作品として別の特定のテーマを持って踊られていた作品の一部分を切り取り、当初の設定やテーマから切り離され普遍性を持つ。オリジナルを知っている人は、オリジナルの世界観も思い出すことで、より一層その作品の印象が深く心に残る。
こうした解釈は私の勝手な「こじつけ」に過ぎず、「だからなんやねん!」と言われればそれまでなのだが、そういう風に思う人間もいるのだと思って流し見ていただきたい。
『Popping!』『WINNING feat. Serocee』『KID feat. LEO(ALI)〜 What You See feat. Maddy Soma(Mash up)』
さて、やや横道にそれてしまった。ライブに戻ろう。
同じ時間を共に歩み、ダンス(エンタメ)の世界で、それぞれがそれぞれのフィールドで戦い続けた6人の幸福感に包まれた時間を噛みしめた後は、claquepot も合流し、全員で『Popping!』。お客さんも一緒に、会場全員で簡単な手の振りを踊るシーン。「これやるのそういえば久しぶりかも!?」と、ファンとしては懐かしさと「これこれ!」という気持ちで胸が熱くなる。
続いて『WINNING feat. Serocee』 で会場を半分に分けてのダンスバトル。これもシッキンライブのお決まりのバトルで、「風を送る」「受ける」の振りを交互に行って、会場の一体感、幸福感を高める。
そしてついに来たのが、『KID feat. LEO(ALI)〜 What You See feat. Maddy Soma(Mash up)』。まず『KID』はタオルを思いっきり回すために作ったという楽曲。そのためにグッズのタオルも発光する素材(色)にするこだわりようで、会場のボルテージをMAXからさらに一段階上げる。一気にフェスやライブハウスのような熱気ムンムンに。この曲の楽しみ方はただ1つ。バカになってタオルを振る。以上。ライブ終盤なのにお客さんの体力も熱量も全く下がらない。さすがシッキンを推してるやつらだけある。
今回のライブツアー、そして武道館でも個人的に「アガる」シーンが、この『KID』の間に、『What You See』が挿入されていることだ。舞台『See』のために作られた楽曲で、「見る(see,look)」をテーマにした、シュールで怪しい世界観がクセになる楽曲だ。『KID』で会場のボルテージを一気に上げたあとに、『What You See』のビート、「見る」「見えない」「see」「lookl」などの言葉の繰り返し、目まぐるしく踊る4人のダンスに、一種のトランス状態に陥るような興奮と快感。
劇薬に劇薬をまぜたような構成をラストに持ってくるシッキン。えげつない。
Oh s**t!! feat. SKY-HI
シッキンも、観客も”踊り狂う”時間がようやく終わると、ここで来年の「約束」ということで、来年のイベントを発表。1日目は、個人活動として、kazukiの「カズキのタネツアー」の開催、NOPPOプロデュースの舞台「GOOFY」の再演、Oguriの舞台出演が発表された。
1日目にこの発表があり、SNSでも公開された時、「来年のお知らせは2日目にするものだと思ってたのにな。2日目に見に来る人ちょっとかわいそうだな」と思っていたが、杞憂だった。2日目には「4人の活動のお知らせ」として「シッキンフェス」の第2弾の開催が発表となった。こちらの考えることなど100もお見通しだったようだ。
そして、とうとう最後の曲になった。ここまで来たら、もう最後の曲が何かはファンなら秒で分かる。あの男が、あの歌を、まだ歌っていない。
『Oh s**t!! feat. SKY-HI』。
メンバーの最後の煽りの後、中央のセリから登場する SKY-HI。漫画だったら絶対ここに「ゴゴゴゴゴゴゴ…」と入っていることだろう。聞こえない「ゴゴゴゴゴゴゴ…」 を聞きながら、1万2千人(2日間合計)の観客は、その「美しき悪魔」が召喚される瞬間に立ちあう。SKY-HIがライブだからこそのその場の勢いで変わる抑揚が、シッキンを煽る。シッキンもSKY-HIがいることで、いつも観客に向けてパフォーマンスに集中するところを、SKY-HIと戯れるように踊り、それがまた、この曲の持つ「ちょっとワルい」感じの中で、新しいスパイスとなる。
盟友とのコラボで締め括ると思いきや、歌い終わったSKY-HIが退場した後、4人だけのアフター『Oh s**t!! 』が本当の最後に披露された。「僕たちはアンコールがないから」と言っていたのに、実質、最高のアンコールを用意してくれていた。
最後は4人で。これはシッキンのプライドだ。
2023年、ダンサーで史上初の単独武道館公演を実現。そこから2年間、多くのことがあった。フェスも実現させた。今年は万博のイベントにも関わり、シットキングスが生み出すクリエイティブは「4人」の枠を超え始めた。

でも、だからこそ。再び武道館に立つ時、そこには「4人」でいる。
たった4つの魂は、やがて大きな光となって多くの人の心を照らす。ラストに浮かび上がったライトは、終演後もそのことをずっと物語っていた。
おわりに
1日目のオープニングMCの時、shojiは「みんなのお守りになるような、そんなライブをする」と言っていた。終演後のステージには、今回のこだわりのセットである大樹と無数の光の粒。
前回の武道館では終演後は4人のメッセージだった。それも良かったが、今回は「自分たちの思い」ではなく「みんなのお守りになるもの」を持って帰ってもらおうと思ったのかなと感じた(自分たちからのメッセージは銀テープで伝えて)。
2年の時を経て再び武道館にLANDINGしたs**t kingz。彼らの創り出す世界は、最後の最後まで、細部の細部まで、愛に溢れていた。

コメント