2022年5月の歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の第一部で上演されている『祇園祭礼信仰記 金閣寺』は、実は日本美術が好きな人には注目の歌舞伎作品です。というのも、この作品では絵師の家系の娘が重要な登場人物で、色んな絵師のイメージやエピソードが盛り込まれているんです。
この記事ではそんな『金閣寺』について、そして作品の中で名前が登場する絵師について紹介します。歌舞伎ファンの方も、それぞれの絵師について知っていると、物語がさらに楽しくなるかも!
『祇園祭礼信仰記 金閣寺』とは?
演目名 | 祇園祭礼信仰記〜金閣寺 |
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作者 | 中邑阿契・豊竹応律・黒蔵主・三津飲子・浅田一鳥(合作) |
初演 | 人形浄瑠璃―1757(宝暦7)年12月 大坂・豊竹座 歌舞伎―1758(宝暦8)年1月 京都・南側芝居(沢村染松座)、京都・北側芝居(中村粂太郎座) |
あらすじ
天下をもくろむ松永大膳(まつながだいぜん)は、金閣寺に将軍・足利義輝の母、慶寿院尼と、絵師・雪村の娘(雪舟の孫)である雪姫を幽閉しています。
女絵師である雪姫に横恋慕する大膳は、同じく絵師であり雪姫の夫・狩野之介直信の代わりに金閣寺の天井に龍の絵を描くか、あるいは自分の意に従うか迫りますが、家に伝わる秘書がなければ描くことはできず、また夫を慕うため大膳に従うつもりもないと拒む雪姫。
そして、大膳の抜き放った宝剣から、大膳こそ父の敵と悟った姫は斬りかかるのだが、捕えられ縄で桜の木に繋がれてしまう。やがて夫直信が処刑されることに。吹雪のごとく舞い散る桜花の下で身動きできない雪姫は、祖父雪舟が涙で鼠を描くと忽ち本物の鼠となったという奇瑞の再現を念じ、足で集めた花弁を使い爪先で鼠を描いた。するとその鼠が動き出し姫の縄を喰い千切り、姫は夫を追っていく。
そして大膳は、慶寿院尼を救出しようと身分を偽り金閣寺に潜入してきた此下東吉と対峙するのであった。
見どころ
縛り付けられた美しい姫、彼女が起こす奇跡
本作の最大の見どころはやはり、”爪先鼠”と称される場面でしょう。豪華な金閣寺の楼門をバックにして、縄で縛り付けられた美しい姫の周りに桜吹雪がが舞い散ります。豪華で幻想的な場面です。
そして、舞い散った桜の花びらを集め、足で鼠を描きます。これは室町時代の画僧で、水墨画を大成した雪舟の有名なエピソードが下敷きになっています。雪舟は幼い時から絵を描くのが得意で、寺で修業もせず絵を描いていると、和尚に罰として柱に縛り付けられてしまいます。その時こぼした涙で鼠を描いたところ、まるで動き出すかのように見事な鼠であったという話。
※歌舞伎作品についての詳しい解説や各場面の写真は下記のサイトからも見ることができます。
雪舟ーー”爪先鼠”のエピソードのモデル
さて、このように雪姫の家系は「雪舟ー雪村ー雪姫」という三世代という設定になっています。もちろんこの設定は完全なフィクション。その中で雪舟、雪村は実在の絵師ですが、それぞれ生きた時代は離れているので、親子関係どころか師弟関係ですらありません。
名前だけ借りだされた「雪舟」ですが、美術に詳しくなくても、恐らく一度はその名を耳にした事はあるのではないでしょうか。それもそのはずで、雪舟は歴史の授業でも「水墨画を大成した」人物として必ず登場する、日本を代表する絵師の一人です。
おもな作品
それでは実際にどんな作品を描いていたのでしょう。禅僧だった雪舟は京都・相国寺に居た頃に、画僧の明兆や周文の絵を学びました。また夏珪(かけい)、梁楷(りょうかい)、牧谿といった中国人画家の画風に倣いますが、その画風は独自の展開を見せていきます。
《秋冬山水図》(東京国立博物館所蔵)
国宝の《秋冬山水図》のうち、特に冬景は雪舟の特徴が端的に表れている作品です。まず目を引くのは画面中央、垂直に走る一本の線。一目見ただけでは一体この線が何を表しているのか分からず、じーっと眺めててようやくこれが崖の岩の輪郭であると認識できます。
従来のセオリーから外れる大胆な描写(構図)を巧みに用いつつ、一つ一つの線に迷いのない強い意志を感じる雪舟の山水図は真に迫る迫力と厳格さに溢れています。また《天橋立図》のように写生的な絵も残しています。
《天橋立図》(京都国立博物館)
江戸時代には既に高い評価を得ていた雪舟。作者がどれほど意識していたかは分かりませんが、金閣寺は相国寺派の寺院であり、相国寺の僧でもあった雪舟とつながります。それに加えて爪先鼠の超人的なエピソードが伝わっているなんて、『金閣寺』という物語において「雪舟」という絵師はもってこいのモデルだったのではないでしょうか!
雪村ーー雪舟の息子で雪姫の父
『金閣寺』で「松永大膳に斬り殺されてしまう雪姫の父」という形でのみ、その名前が登場する雪村。物語中での印象は薄いですが、雪村も独自の画風で江戸時代にすでに評価が高かった絵師でした。
おもな作品
個人的に雪村の代表作と問われれば真っ先に思い浮かべるのが、《呂洞賓図》です。現在は奈良の大和文華館に所蔵されている本作は、龍に乗る呂洞賓という仙人を描いた作品ですが、呂洞賓の髭がたなびき、衣が大きく翻っている様子からは、画面の中で巻き起こってる風がこちらにも吹きかかってきそうに感じます。
江戸時代における「雪村」イメージ
日本美術史においては、雪舟も雪村も重要な絵師として位置づけられています。では、『金閣寺』が作られた江戸時代においてはどのように評価(言及)されていたのでしょうか。
『丹青若木集』狩野一溪(1648‐55頃)
赤澤英二『雪村周継』(ミネルヴァ書房)
…人物、花鳥、折枝及び山水墨画を作り、設色は竜虎を図す。新意を出して悉く異体を専らにし、一家の法となす。……(中略)……会津の城主芦名守氏に画軸巻舒法を授く。一軸有り。此の奥書に天文十五年五月日と為す、是より寛永元迄七十有余歳。
『本朝画史』狩野永納(1693)
赤澤英二『雪村周継』(ミネルヴァ書房)
…雪舟の筆法を慕い、終に子弟の義を約す…或いは請う、雪舟は両辺にあり、雪村は東極に居す
これらの資料からも「雪村」を語る上では「雪舟」は欠かせない存在、別の見方をすれば「雪舟⇒雪村」というイメージが出来上がっていたと言えるかもしれません。雪村自体は京都を訪れた事はないようですが、雪村の画風、また絵師のイメージはこうした資料から広く伝播していたのでしょう。
雪舟と雪村の画風を知っていると、雪姫が描いたのが”鼠”で良かったと思います(笑)本当に龍を描いたら、大膳なんてあっという間にやっつけられちゃいそう(笑)
雪姫のモデル--清原雪信
雪舟、雪村という強烈な個性をもつ二人の絵師を祖父、父に持つというサラブレッド中のサラブレッドな設定の雪姫ですが、この雪姫自体にもモデルとなった絵師がいます。それが、清原雪信。名前は男性っぽいですが、女性絵師です。
雪信自身も、父親は狩野探幽の弟子の四天王とも称された久隅守景、母親は探幽の姪というサラブレッド中のサラブレッド。画風は探幽の瀟洒な画面構成に女性らしい繊細優美な描写が特徴です。
以上のように『金閣寺』では実在した雪舟、雪村、雪信という三人の絵師を、「雪」の字がつながる連想から、”三世代”の親子として設定したのです。荒唐無稽な設定だけれど、江戸時代当時の世間の中での絵師の評価(流布していたイメージ)がうかがえるという意味では、大変興味深い作品といえるのではないでしょうか。
天井画の墨絵のイメージは?
雪姫とその祖父、父のモデルとなった絵師については以上の通りですが、『金閣寺』の中で雪姫が大膳に迫られている「金閣寺の天井画に墨絵の龍を描く」という件は、どういった画が想定できるのでしょうか。
『歌舞伎登場人物事典』によると、これは狩野探幽の墨絵を念頭にしているとのこと。狩野探幽は江戸時代における狩野派中興の祖とされる絵師です(ちなみに雪姫のモデルとなった清原雪信の母は探幽の姪)。その探幽が手掛けた主な雲龍図の天井画は下記の通り。
- 日光東照宮陽明門天井画・拝殿天井画(寛永13年〔1636〕)
- 妙心寺法堂天井画(明暦3年〔1657〕)
- 泉涌寺仏殿天井画(寛文9年〔1669〕)
実際にどの天井画を描いたことがモデルとなったかは定かではありませんが、『金閣寺』は大坂の作者らによって作られているので、もしかしたら妙心寺、泉涌寺など、京都のお寺のことを踏まえているのかもしれませんね。
浄瑠璃や歌舞伎作品では先行する様々な文学、歴史上の人物の史実、伝説などを綯い交ぜにして物語を作り上げていきますが、本作ではこのように時代も活躍した場所も様々な絵師のイメージを取り込んで、”雪姫”という魅力的な人物、そして『金閣寺』というスケールの大きな物語が出来上がったのですね。
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