【レビュー】「篠田桃紅展」@東京オペラシティ アートギャラリー

美術

篠田桃紅とは

昨年訃報が伝えられた篠田桃紅は大正生まれで、昭和・平成を代表する女性美術家でした。書からキャリアをスタートさせますが、その筆が表すものは文字だけに留まらず、絵画的な表現へと展開していき、桃紅の姿そのもののような鋭く揺るぎのない凛とした佇まいをした作品は、国内外で高く評価されています。

篠田桃紅(1913-2021)
中国・大連で生まれる。2歳になる前に東京に移り、漢字、印刻、書画など東洋文化に造詣の深かった父の厳格な教育を受け、書をはじめ漢詩や和歌などを学ぶ。雅号の「桃紅」は父から贈られた。20代で書で生計を立てようと家を出る。敗戦後には結核を患い2年間の療養を行う。書から抽象表現へと作風は移り、1956年には単身渡米。ニューヨークを拠点に2年間活動する。その後日本に拠点を置き、精力的に作品を制作していく。壁書、壁画、緞帳などの大画面の作品を手掛けるほか、リトグラフ作品も多く制作する。

展覧会のみどころ

初期作品から晩年の作品まで

展覧会では、「文字」を数千年崩されることのなかった「決まり」から解放し、新しい「かたち」を与えようとする初期の頃の作品から始まります。そして、ニューヨーク時代、大きな筆(刷毛)で線を面的に扱う抽象表現を確立した頃の作品、リトグラフ作品や連作など、桃紅の精力的な画業の中でも特に画家の”エッセンス”が凝縮された作品が集います。

※展覧会場の様子は下記のサイトで詳しく見ることができます!

篠田桃紅は何をなしたのか? 東京オペラシティ アートギャラリーで振り返る70年超の画業|画像ギャラリー 6/14
70年を超える活動を通して、前衛書から墨による独自の抽象表現の領域を拓いた美術家・篠田桃紅(1913〜2021)。その没後1年となる今年、首都圏では初となる回顧展「篠田桃紅展」が…

最小限の解説と桃紅の言葉と共に

展示室内には個別の作品について、ほとんど解説はありません。展覧会におけるいくつかのテーマ、桃紅の画業において重要となるいくつかのコラム的な解説があるのみです。それは桃紅自身が作品に対してあれこれと説明することを”野暮”と言っていたからでしょう。

桃紅の言葉と生い立ちがまとめられた『これでおしまい』(講談社、2021年)にはこのような言葉が載っています。

造形美術というのは、言葉を入れたら邪道なんですよ。かたち、色で語っているんですよ。言葉を添えるなんて野暮ですね。大野暮ですよ。解説も題名もほんとうは要らないくらいね。あとはご想像におまかせします、というのが相手を尊敬し、相手を認めたやりかたです。ごたごた書いているのはこれっくらい野暮天はないですよ。
(『これでおしまい』より引用)

展覧会に行くとついついまずキャプションを読み出す私には耳が痛い言葉です(苦笑)。そうした桃紅のスタンスを踏まえて、展覧会では最小限の解説(桃紅の言葉の引用)に留められており、鑑賞者は自由に(と言われると心許ない気持ちになる人もいるかもしれないが)、桃紅のシャープな線と面によって生まれる空間に身を委ねていきます。

感想:桃紅の”冷えたる”線

さて、ここからは私が実際に鑑賞した感想を綴っていきます。

初期の頃の作品は、書として「文字」を基盤とした作品。と言っても、楷書、草書といった既に体系づけられた形からは離れ、”抽象画”と”書”の境界線ギリギリのような作品が並びます。あるいはそれこそ「明朝体」「ゴシック体」ならぬ「桃紅体」と名付けたくなるような独自の「かたち」がすでに確立されています。

作品によっては「書く」というより「痕跡が残っている」という方が適切なライブペインティング的な作品もあり、桃紅の漲る表現欲がビリビリと伝わってきます。漢字(文字)の形は、確立されて何千年も経ち、書体(明朝体、ゴシック体、あるいは草書、楷書など)によって多少の違いはあっても観念的なか「かたち」は同じです。その文字を”文字”たらしめているはずの「かたち」から離れようとする行為は、一見「書」から離れていこうとするようにも思えますが、私は文字(少なくとも漢字)が本来何かしらの光景や事象をより抽象的な形にしたものであるという「原点」に立ち返っているように感じられました。未来へ進んでいるのか、過去の始まりの始まりまで戻ろうとしているのか…

”未来”と”過去”という言葉でが出てきたので加えて言えば、《古今》という作品が非常に興味深かったです(上記Twittterの)。二曲一隻の屛風の右側が真っ白の地に黒の線、左側が墨で塗り潰された地に白墨の線。一瞬何と書いてあるのか分からないのですが、左が「古」、右が「今」。ただし「今」は一、ニ画目の上側の部分がひっくり返っています(そりゃ読めない訳だ)。
 墨で塗り潰した画面は、たくさんの経験を積み重ねてきた「古」ということでしょう。それに対して、これから真っ新な道に一つ一つ墨(痕跡)を残していくのが「今」。しかもそれはきちんとした形をした「今」ではなく、思いっきりひっくり返っている!「今」という時間が、きちんと整っている保証なんてない、どう転ぶか分からないからこそ「今」なのだ!!奇を衒っているように見えて、実はちゃんと本質を表現している。

抽象絵画のような作品は桃紅の画業の中でも特に”桃紅らしい”と言える作品群。簡単な言葉で言ってしまえば「かっこいい」。しかし、この「かっこいい」とはつまりどういう事だろう。もう少し正確にこの感覚を表す言葉を見つけたい。己の持ちうるささやかな言葉の引き出しをいくつか引き出したところで、ある言葉が私の脳裏に浮かんだ。

冷え

能の世阿弥が用いた「冷えたる」境地という言葉がしっくりくるように思えたのです。あらゆる知識や経験、研鑽を経たうえで、まるでなんてことのないようにさりげない様。「脱俗的」とも言えるでしょうか。桃紅の作品、特に抽象的な画面になってからの作品の多くは、画面の中の手数はわずかです(金箔を貼るなどの細かな作業などは別にして、筆の運びという意味で)。それらの線(時には面)は、決して無邪気でも考え無しに引かれている訳でもない。それ故に、桃紅の作品から寒々しさ、冷めた感覚を感じていました。

そうしたことを思う中、桃紅のリトグラフ作品に関する解説キャプションを読むと、私がそのように感じた理由がそのまま説明されていました。

…桃紅は自分のそんな制作法に対してリトグラフの石や金属が示す受け止めもせず、拒絶もしない、そうした無機質な表情、あるいは「そっけない突き放す冷たさ」が気に入っていた。

展覧会キャプションより

解説ではあくまでもリトグラフという技法、それに対する桃紅の捉え方を説明するものですが、この「受け止めもせず、拒絶もしない」「そっけない突き放す冷たさ」というのは、まさに私が感じていたことそのものでした。

画面の中でサッと引かれた一本の線。スピーディーではあるが、決して勢い任せで偶発的にそこに引かれたのではない。引かれるべくして引かれた一本。しかしだからと言ってそこに線一本以上の意味も含まれていない。まるで「そんな重さなど御免だ」と言わんばかりーー。

そんな厳しさ、冷たさ、軽さをもって、律せられた画面。「私は私」で「あなたはあなた」、その境界を引くような凛々しい佇まいは、桃紅の生き方そのもののようにも思われ、その一見冷たいように思える態度に、かえって「受け止められている」と思える心地の良い安心感を抱きます。

※私が「冷え」という概念について考えるきっかけとなったのが、書家で研究者の根本知氏の講座で、下記のサイトではその根本氏による解説を読むことができます。

冷えさび
ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風

今改めて展覧会のチラシなどをみて振り返ると、桃紅の大画面の作品に多くで、金泥や朱の細い線がアクセントとなってスッと引かれている。それらは私に「何かが芽吹く」というイメージを沸き立たせてました。あるいは風に吹かれて揺れる柳の葉のような嫋やかさ。あらゆるものを脱ぎ捨てた「冷えたる」境地に到達し、その中でさらに「新たに芽吹く」もの。それが何かは言い表すことが難しいのですが、それこそが「生きる」ということのようにも思います。

人間はなんてちっぽけなものだろうと思いますよ。
この風ひとつ止めることも、吹かすこともできないんですよ。
だけど風は吹くんです。
(『これでおしまい』より)
私が描いたものより、何も描いていない状態が一番いい。
長く生きて、あらゆることをした上で悟った。
何もしない状態が一番いいと悟るために人間はあらゆることをする。
(『これでおしまい』より)

藻掻くように生き、ようやく手放す境地に到達し、その上で「生きる」ことに真摯に向き合い、筆を持ち続けた篠田桃紅。その線は、時に強く、時にしなやかに、時にふっと体を吹き抜ける風のように心地良く、画面の上を走り抜けています。

展覧会概要

篠田桃紅展

  • 期間:2022年4月16日(土)~ 6月22日(水)
  • 会場:東京オペラシティ アートギャラリー[3Fギャラリー1, 2] 
  • 開館時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)
  • 休館日:月曜日(ただし5月2日は開館)
  • 入場料:一般1,200円(1,000円)、大学・高校生 800円(600円)、中学生以下無料
  • HP:https://www.operacity.jp/ag/exh249/

桃紅の言葉については、こちらの書籍もおススメ。(桃紅の言葉には反するかもしれませんが(笑))

「梅むら」のアボヘボで一服

東京オペラシティアートギャラリーから歩いて15分ほどのとこにある、和菓子屋「心庵 梅むら」で名物の「アボヘボ」と「梅どら焼き」を購入。ちょっと歩くので、展覧会の”ついで”というには少し距離がありますが、美味しいのでぜひお土産に!

アボヘボ(粟穂稗穂)とは…
古くから世田谷・喜多見の地に社をかまえる氷川神社の伝統行事で「言寿、進学成就、子孫繫栄、商売繫盛、五穀豊穣」を祈願し、新年を祝う「アボヘボ」に因んだ「縁起餅」。

もっちりとしたやわらかい求肥に国内産の胡桃と沖縄県波照間島の黒糖を加えて練り、国産大豆で作る「黒須きな粉」をまぶしたお菓子です。

東京オペラシティタワー to 心庵 梅むら
よもつ
よもつ

アボヘボは本当にやわらかくて、胡桃の触感が良いアクセントに!黒糖との相性もバッチリで手土産や自分のおやつに食べたくなる味。(アボヘボは常温保存で1週間ほどもつようです)

梅どら焼きも、梅の甘酸っぱさと餡子の甘さが見事に調和してました。

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