開幕前から楽しみにしていた東京国立近代美術館の「重要文化財の秘密」展をようやく鑑賞した。東京国立近代美術館の開館70周年を記念する展覧会では、明治時代以降の美術作品で「重要文化財」のみで構成するという異色の展覧会だ。
展示作品すべてが”近代の重要文化財”
そもそも重要文化財とは何か。
日本にある有形文化財のうち、とくに重要とみなされたもの。「重文」と略称される。1950年(昭和25)に制定された「文化財保護法」に基づき、文部科学大臣が、絵画、彫刻、工芸品、考古資料、建造物などの遺品中、芸術上・学術上などの見地からとくに価値の高いものとして指定したものをいう。1949年の法隆寺金堂の火災を機に、かつての「国宝保存法」などにかわってこの制度が成立、同時に従来の国宝はすべて重要文化財と改められた。
日本大百科全書(ニッポニカ) (コトバンクより)
展覧会のHPによると、明治時代以降の絵画・彫刻・工芸で重要文化財に指定されているのは全部で68点。そのうち51が今回の展覧会に出品される。
展覧会のタイトルもさることながら、今回はチラシなどに使われているキャッチーコピーに惹かれた。
「問題作」が「傑作」になるまで
今でこそ「傑作」として語られ、歴史や美術の教科書にも掲載されるような作品も、実は発表当時には物議を醸したものもある。そうした”曰くつき”の傑作たちが並ぶのだから、これは曲者揃いだろうと期待!!
必見!横山大観《生生流転》が全場面一挙公開
本展の目玉の1つが横山大観の《生生流転》。全長40メートルという長大な絵巻物の作品で、今回はこの作品の全場面を一挙公開する。
私がこの展覧会で一番感動したのもこの展示。《生生流転》自体は常設展などでも見たことはあったが、その時はだいたい一部分しか展示されていなかった。また図録や画集、展覧会のパネルなどで全貌を目にした事もであったと思うが、それまでの「見た」は「何も見ていなかった」ということに今回気づかされた。
全場面を一度に見ることの感動は、水が滝から流れ出て川となって海(大河)となって、蒸発して天に戻るという、壮大なスケールの物語を、(絵巻物なので右から左に)実際に歩きながら辿っていくことにある。自分自身の身体感覚を伴って水の形が次々に変化し流転していく様子を体験することによって、人間一人の大きさに対する自然の空間的・時間的なスケールの大きさを実感する。
この展示見るだけに1800円出しても惜しくないくらい、素晴らしい体験でした!
「美術の価値」を問う”問題作”たち
一度見たら忘れられない!油彩画
展覧会のコピーにもある”問題作”。原田直次郎の《騎龍観音》は、伝統的な観音像の姿を油彩画で立体的に表したがゆえに、「まるでサーカスの玉乗り」と揶揄されたとのこと。萬鉄五郎の《裸体美人》は堂々と脇毛を見せて寝そべる女性が強烈なインパクトの作品。西洋の裸婦像の伝統へのアンチテーゼと言える。
”傑作”なのになぜ?指定が遅れた高村光雲
高村光雲の《老猿》は当時シカゴ万博に出品され、高い評価を得ていました。しかし重要文化財に指定されるのは1999年とごく最近。
実は1968年前後には、明治誕生100年を記念して近代美術作品が集中して重要文化財に指定されたのだが、そこでも落選となっていた。当時、ロダンに代表される西洋近代の彫刻観からすると本作は相応しくないと判断されたようだ。
超絶技巧と言えばこの人!宮川香山
個人的に好きなのが工芸の宮川香山。明治時代の工芸品について近年では「超絶技巧」という文句がつけられることが多いが、その代表格の1人。この緻密さ、写実を追求した結果のゴテゴテした感じになるこの装飾性。
個人的には宮川香山のこうした装飾的な作品は、「立体版・若冲」っていう感じがしてすき。
この展覧会は単に「名作揃いですよ~」という展覧会ではない。発表した当時「問題作」として非難を浴びたりした作品が、なぜ重要文化財という「傑作」扱いになったのか。その答えを単に「作品が素晴らしいから」ということではなく、「いつ、どうして”素晴らしい”という評価に変わったのか」という点を示している点で意義深い。普段の展覧会では透明になっている「作品の周囲にある制度(美術史)」の存在を浮かび上がらせ、美の価値を問うこと、それが時代によって変化するという事実を鑑賞者に伝える。
そして、今目の前にある作品に対して「この作品の何が良いのか」を鑑賞者自身に改めて問う。
これは「問題作」か「傑作」か。
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