【レビュー】「ヴァロットン黒と白」展@三菱一号館美術館

美術

展覧会概要

ヴァロットンとは?

フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)
1865年、スイス・ローザンヌ地方で生まれる。1882年、17歳の時にパリに出て、アカデミー・ジュリアンに入学。20歳でフランス芸術家協会のサロンに初出品。1893年、18歳の時に「ナビ派」のグループに参加し、「外国人のナビ」と称される。油彩・版画作品などを手掛ける。

私の中のヴァロットンのイメージは、夏の照り付ける日差しの下、少女がボールを追いかける姿を俯瞰の視点から描いた《ボール》だ。

実に微笑ましい夏の景色の一コマだけれども、画面からは一切の音がせず、妙に冷ややかに感じられた。そこからずっと気になっていたヴァロットンだったが、三菱一号館美術館でそのヴァロットンの展覧会が開催されている。

ヴァロットンの木版画にフォーカスした展覧会

「ヴァロットン黒と白」展は、画家の画業の中でも、白と黒の2色で構成された木版画に焦点を当てた展覧会だ。「ナビ派」の一員として色彩豊かな油絵の作品も手掛けてきたヴァロットンだが、一方で木版画において卓越した才能を発揮している。

ブルジョア階級が生まれ、パリの街が活況に満ちた輝かしい時代。光が強ければ強いほど、その影は濃い、と言わんばかりに、華々しい時代を謳歌する一方で、暴力、殺傷事件、自殺、処刑、デモ隊と警察の攻防…といった都市の闇も同時にパリの街に溢れた。

ヴァロットンは、そうした都市の中で起きる出来事を捉え、そこに潜む人間の仄暗い部分を的確に版画作品として表した。それらの作品のほとんどは、黒と白の2色で構成されている。人間の表と裏、対立する人と人、生と死、善と悪、男と女、美と醜・・・・あらゆる二項対立の関係性を表すのに、「黒と白」ほど最適な二色はないだろう。

本展では、そうしたヴァロットンの”黒と白”による木版画作品を集め展観する。

「ヴァロットン黒と白」展

会期:2022年10月29日 〜 2023年1月29日
休館日:月曜日、12/31~1/1 ※1月2日、1月9日、1月23日は開館
開館時間:10:00〜18:00 ※入館は閉館の30分前まで
(金曜日と会期最終週平日、第2水曜日は21:00まで)
展覧会HP:https://mimt.jp/vallotton2/

「外国人」であるヴァロットンだからこその”冷めたまなざし”

展覧会は、ヴァロットンの初期の版画作品から始まります。画家の版画制作は、まず身近な人物の肖像画や古典作品の模写に始まる。

経済的に困窮するようになると雑誌の挿絵などの仕事で食いつなぐようになり、そのころに制作した当時の政治家、ジャーナリスト、文豪や芸術家の風刺的な似顔絵の連作では、人物の特徴を捉えつつデフォルメするヴァロットンの挿絵画家としての才能が既に見受けられる。

また、人物画だけでなく、マッターホルンの山脈を描いた作品もいくつか残しており、当時パリで一大センセーショナルとなっていたジャポニズムの影響も受けつつ、様々な画題に意欲的に取り組んでいた。

群衆への関心

そうしたヴァロットンの才能が遺憾なく発揮されたのが、「パリの群衆」であった。様々な階級の人であふれるパリの街中は、ヴァロットンをはじめ「ナビ派」の画家たちにとっては格好の題材だった。

〈息づく街パリ〉口絵

ナビ派の他の画家たちが、家族愛を朗らかに描いたり、モードなファッションに身を包む女性を優しく甘美な色彩で表すなど、そのまなざしが肯定的であるのに対し、ヴァロットンが都市の人々に向ける目は非常に冷ややかだ。

切符売り場〈息づく街パリⅣ〉

そして展覧会のタイトルにもなっている「黒と白」の関係についても、初期作品においては、あくまでの色彩(明暗)の”諧調”でしかなかった黒と白が、パリの群衆を描くうちに、次第に「こちら」と「あちら」を明確に線引きする”領域”として扱われるようになる。(それは黒と白の中間色であるグレーが用いられなくなることの理由でもあるだろう)

権力への風刺

ヴァロットンの作品にはしばしば社会的な悪習や権力に対する風刺が込められている。

〈街頭デモ〉
〈祖国を讃える歌〉

〈祖国を讃える歌〉では、同名の歌を聴く人々の反応を描いている。熱狂する者、退屈そうな者、不承不承で拍手をする者などなど…。

私は改めてこの作品の中での「黒」の役割に注目したい。描かれている男性たちは、それぞれ表情も仕草も異なっていて、一人一人がきちんと描き分けられているにもかかわらず、彼らは「黒」い服によってそれぞれの輪郭がなくなり「群衆」として一つの大きな塊になっている

最近NHKの「100分で名著」でル・ボンの『群衆心理』を扱っているのを見たのだが、その「群衆心理」というのもこういうことなのかと思う。一人一人はそれぞれそれなりに自分の”意思”を持っているように思っていも、本人も気づかないうちに「群衆」という大きなうねりに飲み込まれ、1つの塊となって蠢く。

そうした群衆の恐ろしさがこの作品にもあるように思う。

暴力、死

〈暗殺〉

都市に住む人々を一歩引いたところから冷静に見つめていたヴァロットンだから、人間の営みの最終地点である「死」にも関心を寄せていた。またその「死」に至る悲劇、不条理にも当然描いている。

〈埋葬虫(シデムシ)〉

「死」という悼むべきテーマに対してもどこか皮肉的で、死者への哀悼というよりも、その「死」という出来事が起きてしまった時の人々の態度、あるいは〈暗殺〉のように「死」の経緯に関心が寄せられている。

ヴァロットンはあくまでも人々の奥底にある仄暗い感情、そうさせてしまった社会を描き出そうとしている。

こども

ヴァロットンの手にかかれば、無垢な子供も社会の暗部を強調するためのモティーフとなる。

〈可愛い天使たち〉

大勢の子供たちが無邪気に取り巻いているのは、警察と浮浪者。子供の無邪気ゆえの残酷さが際立つ作品だ。

傑作〈アンティミテ〉ーー男と女

そして、そんなヴァロットンの「黒と白」の世界の真骨頂と言っても過言ではないのが、男女の秘め事を描いた10点の連作〈アンティミテ〉だろう。

男と女、真実と嘘、光と影、悦びと苦悩…あらゆる対比が「黒」に溶け込み、「白」によって露わとなる。

さいごに

展覧会では、一番大きい展示室のみ撮影可能だったため、そこで展示されていた作品を中心に紹介したが、展覧会後半に展示されていた〈警戒〉や〈万国博覧会〉も興味深かった。

ヴァロットンのは常に一歩引いた目線でパリの群衆たちを捉えていたが、それは彼自身がスイス出身の「余所者」であったこと、経済的な格差を感じたことなども影響していただろう。しかしその「外国人(=余所者)」であったからこそ他のナビ派の画家たちとは違う、ツゥーと背筋が凍るような冷ややかな作品が生まれた。

黒と白の間に浮かび上がる人間の本性ーーぜひ、ヴァロットンの捉えた、斯くも可笑しい人間の有り様をご覧いただきたい。

展覧会の図録はオンラインでも購入可能。

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