【レビュー】「チェーザレ 破壊の創造者」@明治座

本・漫画

1月28日(土)に明治座で開催中の「チェーザレ 破壊の創造者」ぴあ貸切公演を鑑賞しました。

この舞台は、「モーニング」で連載されている惣領冬実の同名の漫画をミュージカル化した作品です。本来なら2020年に上演される予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う緊急事態宣言の発令を受けて公演中止となっていました。

当時から楽しみにしていた舞台でもあったので、今回の上演決定はとてもうれしかったです!

原作・あらすじ

ルネサンス史上最も美しい英雄、チェーザレ・ボルジア。

レオナルド・ダ・ヴィンチが惹かれ、マキァヴェッリが理想とした伝説の英雄、チェーザレ・ボルジアの物語。累計120万部突破の大ヒット歴史漫画。

歴史の闇に埋もれた英雄の真実を調べるため、監修にダンテ学者の原基晶を迎え、本邦未訳のG・サチェルドーテ版の伝記を翻訳しながら、歴史を精査し描く。

講談社HPより引用

とにかく絵が美しい。。。チェーザレ、ミゲル、アンジェロの顔が美しい。。。特にミゲルが好きなのだけど、あまりに絵が美しすぎて、電車で漫画を読んだ後にふと車両の中を見渡して、現実世界にミゲルのような美しき青年がいないことに落胆したことを覚えている(笑)。

この美しさを本当に舞台化できるのか…

舞台の感想

フォトスポット

原作再現率100%!!漫画からそのまま抜け出たビジュアルに悶絶

劇場内に飾られた惣領冬実氏の原画

漫画原作を舞台化・映画化する時の一番の懸案事項であるビジュアルの再現度。絵の美しさが『チェーザレ』の人気を支えていると言っても過言ではないので、プレッシャーもあったのではないだろうか。こちらとしてもどうなるか期待8、不安2くらいだった。

しかし、その2割の負担は杞憂に終わった。出てきた瞬間に「チェーザレ!!」「ミゲル!!」「アンジェロ!!」と叫びたくなる再現度

特にミゲル役の橘ケンチさん、、、ありがとう。あの麗しき護衛・ミゲルがこの現実世界にいたことを教えてくれてありがとう。かつて電車の中で「この現実世界にはミゲルのような美しい青年はいないのか」とため息をついたあの日の私に教えてあげたい。「数年後、明治座にミゲルが現れるぞ」って。そのままこの世に絶望しなくて良かった。

欲を言えばチェーザレはミゲルより背が高くあってほしかったが、中川晃教の持ち前の”主役としての華”が、そのままチェーザレとしての”カリスマ性”に昇華されている。

ほぼ全員再現度100%と言ってもいいのだけど、その中でも特に「同じ」だったのは、

・ロベルト(木戸邑弥・きどゆうや)
・ドラギニャッツォ(近藤頌利・こんどうしょうり)

作品の中のポジションとしては脇役に近い彼ら(と見せて追々重要人物になるけど)だが、完成度が高すぎるので、イタリア・ルネサンスの世界としての説得力につながる。彼らには大いなる拍手を送りたいほど。そして、原作以上にカッコよくなっていたのは、

・ジュリアーノ(岡幸二郎)
・ジョヴァンニ(鍵本輝)

後々書くが、ジュリアーノは、原作の厳格すぎて憎々しさがありつつも、…かっこいい。そんなキャラじゃなかったはずじゃ…。

脚本はより「政争の中にいるチェーザレ」に焦点を当てる

ストーリーは原作から、「政争に中のチェーザレ」に焦点を当ててまとめられていた。かなりエピソードを端折っているので、原作未読だと展開が早すぎて、勢力図や彼らの目論見が理解しづらいのでは?と心配してしまったが、どうなのだろう。

個人的にはチェーザレ、ミゲル、アンジェロの関係性をもっと深堀りして、例えばミゲルがアンジェロに「あまり信用しすぎるな」と忠告するシーンなどを入れてほしかった。

チェーザレの気高く柔軟で自由な思想を持つ一方で、「他者は自分に従って当然」という貴族生まれ故の傲慢さというチェーザレの二面性や、それに対して信頼もするし危惧もするミゲルの心情、また天真爛漫でチェーザレに対して従順のようなアンジェロも、その無垢ゆえに「いつか(チェーザレを)裏切るかも」という惧れを与える「聡明さと無垢さ」の一面をもっと出してほしかった。

ただ、そうなると若者3人の青春劇になってしまうので、今回の舞台では、のちに類まれなる英雄としてその名を歴史に刻む「チェーザレ・ボルジア」の若き姿、ルネサンスという時代の「人間賛歌」の物語としてまとめ直されたように感じた。

イタリア・ルネサンスの世界を表現した舞台装置

出演者のビジュアルと共に感動したのは舞台装置。舞台の盆回しを多用して中世イタリアの堅牢な石造建築の趣を再現している。

特に素晴らしいと感じたのが大階段のセット。大階段自体のセットは珍しくないが、そこを前述の通り原作に忠実なルネサンス期の衣装を着た役者たちが歩いたとき、ラファエロの《アテネの学堂》を思い出した。

The School of Athens by Raphael (1509–1510), fresco at the Apostolic Palace, Vatican City(Public domain, via Wikimedia Commons)

大階段の裏は可動式の階段2つを組み合わせて、1つの階段にしたり、離して設置して2つの階段、あるいはL字に組んで部屋のコーナーに見立てたりと、工夫のある舞台装置になっていた。

またサイドの壁やセットに映像を投影し、ルネサンス美術(ボッティチェリの《春》など)の画像が投影され、ルネサンス期のイメージを重ねていく。

2幕目、岡幸二郎さんのジュリアーノに惚れる

さて肝心の音楽だが、一幕は正直ついていけない部分が多かった。音楽のノリが軽くて、どうも原作がもつ荘厳さ、美しさ、品格というのに欠ける気がした。大人たちは教会という敬虔な祈りを捧げる場で強かに陰謀術数を図り、その運命に飲み込まれるようにピサの大学に集う若者たちも、自身の生き残りを賭けて静かに戦う。その中世ヨーロッパの石造建築が象徴するあの「重さ」と「暗さ」が、今回の劇中歌では感じられず、原作ファンとしては違和感がぬぐえなかった。

最初に感じた「軽い」という印象は、ルネサンスという時代を歌う歌詞の中で「ダビデ」や「ミケランジェロ」など、ルネサンス美術を代表する作品や画家を連呼したり、スペイン出身ということで、チェーザレの父「ロドリーゴ・ボルジア」にラテン風の音楽でフラメンコのような振りを躍らせたり、という演出に安易さを感じたことも大きい。

そんな中で一番良かったのは、ドラギニャッツォの裏切りと死によって、黒幕であるジュリアーノ(岡幸二郎)、チェーザレの父でジュリアーノの政敵ロドリーゴ(別所哲也)、そしてチェーザレ(中川晃教)のレクイエムだ。数々のミュージカルで活躍する彼らの歌声こそ、この作品のもつ荘厳さ、重厚さ、美しさに相応しい。

そして、ジュリアーノが自身の生い立ちを振り返るシーンでの岡幸二郎さんの歌が圧巻だった。観劇中一番大きな拍手をした。貧しい幼少期に、それでも神に祈ることをやめず信じ続けた少年、這いつくばってでも生きて、信じて、祈り続けてきた一人の人間の苦しみと、そんな彼に光を与え続けた”神”という存在の大きさを歌う。歌うことこそ救済であるかのように。

この時、舞台上ではラファエロのシスティーナ礼拝堂の天井画の画像が大道具に投影されていたのだけど、この壮大な宗教画に負けない歌声。素晴らしかった。

よもつ
よもつ

欲を言えば、歌い終わった後のジュリアーノ(岡幸二郎)の立ち位置を下手側であれば、背景のラファエロの《天地創造》のアダムと神の位置関係と呼応したのにな、と思いました。

配信も決定!舞台を観た人もまだの人もおすすめ

2幕目で物語が動き始めてからはそれぞれの役の心情と音楽が私の中でも合うように感じられ、ストーリーに入りこめた。またドラギニャッツォの最後のシーン、ミゲルとのやり取りも胸に迫った。

終わってSNSでいろんな人の感想を読んだり、出演者や公式アカウントの投稿で楽屋裏での和気あいあいとした写真を見てしまっている自分に気づき、「チェーザレロス」に陥っていることに気づいた。細かい点を見れば気になる箇所はあるものの、あの繊細で、美しく、どこまでも気高い『チェーザレ』という作品を、この現実世界にこうして生み出してくれたことは、感謝してもしきれない。

そして、そんな私にさらなる朗報!ライブ配信(アーカイブ)が決定した。舞台を観た人も、まだの人も、ぜひ配信でお楽しみください。

原作未読の方は、ぜひ原作を読んでからをおすすめします!

コメント

タイトルとURLをコピーしました