土佐の絵金--そんな人知らないという人も、一度その作品を見たら決して忘れることはできないのではないだろうか。かくいう私もその一人で、昔ネットニュースで絵金の作品が取り上げられた時、その凄惨で強烈なイメージは、一目で私の脳裏にインプットされた。
そんな絵金を真っ正面から取り上げた展覧会が、大阪・あべのハルカス美術館で開催されている。数年前に「奇才展」で数点絵金の作品を見たが、全面的に絵金作品を見れるとあっちゃぁ行かない訳にはいかない。東京から夜行バスに乗って朝一であべのハルカス美術館に向かった。
真っ赤な背景に「恐ろしいほど美しい」というキャッチコピーと共に「絵金」の名前が大きく配された展覧会ポスターが大阪の街中に溢れている。大阪の地が、絵金の描く血の赤、着物の赤、炎の赤、紅の赤で染まる。そんなイメージが膨らむ。
「絵金」とはーー展覧会のみどころ
今回の展覧会ではそんな絵金の代表品が集結するほか、年中行事や娘など身近な人物や風俗を描いた作品など、おどろおどろしい絵金のイメージとは違う一面を見せる作品も展示されており、これも意義深い。
ついついその強烈な画風から”怖いもの見たさ”という見世物的な扱いに陥りやすいが、一人の絵師としての絵金像を鑑賞者に提示していることは、本展の大きな功績だろう。そのほか、弟子や同じ絵師仲間らの作品や下絵なども展示され、一人の絵師の画業にとどまらず、ある意味1つの「現象」としての「絵金」の世界に触れることができる展覧会だ。
祭りの再現展示で絵金の魅力を最大限味わう
今回の展覧会は、”絵金”こと金蔵という絵師のみに焦点を当てたものではなく、その絵金が過ごした”土佐”、そして後世になっても守り伝えてきた”高知”という場所も焦点が当たっている。
それが第2章の展示。祭の提灯に照らされた展示室は、さながら高知のお祭りの中を散策している気分だ。夏祭りに絵金の屏風を飾る風習がいつから始まったかは定かではないが、江戸時代には既に行われていたようで、現在でも毎年各地の神社などで、夏祭りに合わせて絵金の作品を飾り、夏の宵を楽しんでいる。
今でも地元で開催されている祭りの様子を再現した展示は圧巻。近年発見された《釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)》という芝居の各場面を描いた絵馬提灯も全点展示されており、絵金の作品の充実ぶり、そうした作品が今も高知の地に残っていることからうかがえる”絵金愛”を感じずにはいられない。
特に《釜淵双級巴》の絵馬提灯は、下絵も現存されているので、下絵と実際の作品との比較もできて興味深かった。
香美市土佐山田町の八王子宮にある、5点の屏風を飾るための大型の「手長足長絵馬台」はその装飾にも注目。絵金の世界にプラスアルファでエキゾチックさも加味されてて一層濃密。
絵金の描写力に圧巻
絵金の作品は、ぱっと見ただけで思わず「すごい!」と思って満足してしまいがちだが、足を止めてじっと眺めていると鮮烈な色彩とグロテスクな描写の奥に、キラッと絵金の冴えわたる描写力が光って見えてくる。
二曲一隻屏風ならではの空間表現
今回の展示で一番の発見は、絵金の屏風絵における空間表現だ。ほとんどの作品が二曲一隻なのだが、その特徴として、画面中央部分に柱が描かれることが多い。つまり、物語世界における部屋の四隅など空間の境目となる部分と、実際の屏風の折れ曲がる位置がちょうど一致し、二次元の世界が物理的に三次元として立ち現れる効果があるということだ。
この効果が一番わかりやすいのが、《菅原伝授手習鑑 寺子屋》と《蝶花形名歌島 小坂部館》がある。前者は、松王丸がいる屋外が画面手前に描かれており、その奥に武部源蔵夫妻がいる寺子屋が描かれている。その寺子屋と松王丸の前後の奥行きが屏風の折れ曲がりによってさらに強調される。
後者も、物語の舞台である小坂部館は、屏風の中心に沿うように建物の四隅が設定されている。本作が少しイレギュラーなのは、その上で建物の奥の背景は一点透視図法により遠近感が強調されたシンメトリーな構図になっている点だ。物語は、小坂部の2人の娘は夫が敵同士であるため、姉妹は父親を自分の夫の味方にしようとする。そこで小坂部は娘の子(孫)に真剣勝負をさせ、勝った子の方に味方するとして、戦わせるのだが…という筋だが、画面の中では、小坂部を中央に据え、左右に、それぞれ手前から子供同士の争い、その背後に母親である小坂部の姉妹間の対立、その対立の背景にある夫同士の敵対関係…と、各フェーズの対立構造を強調するように配置している。
そして、そのことに気づくと、第2章で櫓の上に展示されていた《仮名手本忠臣蔵 判官切腹》も、折り曲げた状態で観たかったという気になってくる。
というのも、切腹の場面で、駆け付けた家老の大星由良助に、無念の塩冶判官が由良助にだけに分かるようにそっと耳元で仇討ちを託す場面だ。屛風の折れ曲がる中央を境に左右にいる判官と由良助だが、折り曲げると、その二人がさらに近づいてさも耳打ちしているように感じられたことだろう。
絵金は単に芝居の再現として描くのではなく、物語がもっともドラマティックになる空間演出を、絵の中で新たに再構成している。そういう意味では「芝居を絵にする」のではなく、「絵(屏風)の中に芝居を作る」という感じがした。
人物の内側に巡る緊張を強調させる指
絵金の絵のドラマティックな描写の大きな要素になっているのは、鮮烈な赤、その補色となる緑のコントラスト、血みどろな場面など様々な要素があるが、私が特に印象深かったのは「手」とりわけ「指」の形だ。
歌舞伎の見得さながらに5本の指が全開に開いてダイナミックな印象を与える時もあれば、人差し指や小指だけを1本だけピンと伸ばした形、あるいは逆に小指だけくいっと曲げるなど、その1本の表情を他の4本の指と変えることで、かえってその人物の体の内側にエネルギーが渦巻き、指先までその緊張が張り巡らされていることを最も効果的に表現している。
この作品は特に中指だけが曲がっている点が興味深い。実際にやってみると中指だけ折り曲げた形は自然に出てくるようなポーズではなく、歌舞伎の見得としても見ることのない形だが、絵金の絵の中ではなぜか気にならないし、むしろこうした形によって物語のドラマが一層強く印象に残るように思う。
繊細な表情を描く
凄惨な殺しの場面、ぎょろりとした眼など、おどろおどろしさの印象が強い絵金だが、その一方で泣き顔などの繊細な感情も巧みに描いている。
《東山桜荘子 佐倉宗吾子別れ》では、今生の別れを惜しむ宗吾とその家族の姿が描かれているが、子どもの泣き顔などは、泣くまいと必死にこらえるも、どうしても涙が落ちてしまう。笑うようにして必死に涙を堪える時の、目頭がプルプルと震える感覚が蘇るほど、真に迫る表現だ。
歌舞伎の見得さながらに劇的なポーズで強調して描く一方で、絵金は繊細な心情をも救い上げるように描く。この振り幅があるからこそ、絵金の絵は恐ろしいけど”悪趣味”にならず、むしろ思わずのめり込むような底の深さをも感じさせる。
音声ガイドでさらなる没入感
今回の展覧会はぜひ音声ガイドを借りてほしい。ナビゲーターは歌舞伎俳優の中村七之助さん。ナレーションも聞きやすくって良いのですが、何と言っても描かれている芝居の台詞を、舞台さながらに再現した解説は、芝居の雰囲気をさらに濃厚にしてくれます。
ボーナストラックのインタビューも、さすが日々歌舞伎俳優として舞台に立っているからこその視点で興味深かった。絵金の生涯と作品を題材にした新作歌舞伎を中村屋でやってくれないかしら…なんて妄想も膨らんでしまう!!
展覧会概要
【おまけ】パールズのモーニングでいっぷく
旅の醍醐味の一つがモーニング。展覧会鑑賞前に、あべのハルカス美術館の近くで朝ごはん。名物の「黄金のフレンチトースト」も朝から注文できるのが嬉しい!
coffee kissa PEARLS
コーヒー 喫茶 パールズ
大阪市阿倍野区阿倍野筋1−3−21岸本ビル1F
7:30〜22:00(日曜〜木曜)
7:30〜23:00 (金曜・土曜・祝前日)
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