陶芸家・板谷波山。初めて作品を見たのは東京国立近代美術館の工芸館が閉鎖する時だったと思う。初めて見たその瞬間から、その滑らかで、というより艶めかしい肌理と色彩に見惚れてしまった。
そんな板谷波山の展覧会が泉屋博古館東京で開催中ということで、さっそく(と言いつつも開幕して数瞬間経ってしまったけど)行ってきました。
展覧会概要
板谷波山とは?どんな陶芸家?その生涯と作風
プロフィール
作風
波山の作品の特徴は何といっても、艶めかしさすら感じさせる色調の器でしょう。アール・ヌーヴォー様式を熱心に研究していたように、おもに動植物をモティーフとした作品が多いですが、淡く滑らかな色彩はうっとりとしてしまいます。
《彩磁蕗葉文大花瓶》の解説では、リズミカルに配置された蕗を「楽譜の音符」のようと表現していて、学芸員さんの言葉のチョイスも素敵。
「太白磁」「氷華磁」「淡紅」…波山の詩的な呼称も魅力のひとつ
波山の作品には、器(製法)の名称に独自の呼称がつけられているものがあります。今回の展覧会では次の3つの名称に、波山が色に対して詩的な感覚を持ち合わせていることがうかがえます。
太白磁…「精製された純白の砂糖のような白色」
展示室で《太白磁紫陽花彫嵌文花瓶》を見た時、いわゆる白磁の器の白とはちがう、どこか人工的な”白すぎる白”という感じがして「砂糖っぽいな」と思ったので、解説を読んでまさにその砂糖の白をイメージした名称が用いられているとは!と驚きました。
氷華磁…「氷山のような青味のある白磁」
文様を彫ったところが、うっすらと青味がかっていることから「氷華磁」と命名。釉薬の違いなのか、表面もどこキラキラ輝くようで、涼やかな印象。
淡紅…「ほのかに淡く珊瑚色を呈した白磁」
白磁というには、パッと見ても赤っぽい作品。
板谷波山の代名詞であり真骨頂「葆光彩磁」(ほこうさいじ)
板谷波山を象徴する作品(製法)といえば、「葆光彩磁(ほこうさいじ)」でしょう。聞きなれない言葉ですが、簡単に言えばマットな質感の釉薬を使った器です。
葆光とは光沢をかくすこと、物の線や界をやわらかく薄く表すことをいいます。波山の葆光彩磁は、彩磁における透明釉のかわりに薄絹を透かして見るような失透性(しっとうせい)の釉をかけたものです。葆光釉は、長石(ちょうせき)や石灰のほかに炭酸マグネシウムも加え、波山の『釉薬調合帳』によると、焼成温度に関しては「1230度位にてマット釉となる」などの記載がみえます。
茨城県教育委員会HPより
これにより全体がまるで薄いヴェールに包まれたかのような幻想的な色調となり、アール・ヌーヴォーの雰囲気もふんだんに取り入れた図様と相まって、気品が溢れています。
展覧会ではこの「葆光彩磁」の作品も多数展示されており、波山芸術を存分に味わうことができます。
波山の人となりがうかがえる作品も展示
展覧会では、大学で高村光雲に指導を受けたことがうかがえる彫刻作品《元禄美人》をはじめ、波山の生涯や人となりがうかがえる作品も展示されています。
《元禄美人》は元禄時代の風俗の女性が着物の裾を右手でちょっと持ち上げている姿の彫像ですが、この着物を持ち上げたときの着物のシワの表現が秀逸!!たっぷりとしたドレープからは、着物の重さまでも感じさせ、写実性の高さがうかがえます。
貧しくとも納得のいかない作品は割る!窯から発掘された陶片の数々
展覧会では田端の窯に捨てられたたくさんの陶片も展示されています。代表作として本展にも展示されている器と同じ文様(製法)の破片もいくつもあり、波山の試行錯誤の様子がうかがえます。
展示パネルで紹介されていた波山の言葉「技術を持つことは表現の基本である」にドキッとしました。私も推し活でイラストを描いていますが、「技術の無さは愛でカバー」と言ってごまかしていましたが…いやはや、精進します!!!
91歳まで生き、長命であったにもかかわらず現存する作品は多くないようで、その理由には納得のいかないものは容赦なく割っていたからでしょう。
展示室内では、一家で貧しい暮らしを耐える中でも、製作に関しては一切の妥協をしない波山のエピソードが紹介されています。
明日の米すらない中で、次に焼く器に家計がかかっているという時、不幸にも地震が起きてしまい、全ての器に余計な跡がついてしまいました。波山の妻は上絵をして作り直せばいいと主張しますが、波山は譲りません。平行線のまま、妻に煎餅屋に借金をして酒を買いに行かせている最中に波山はそれらの器を割り、戻ってきた妻は泣いたとのこと。
日中戦争、太平洋戦争の遺族への贈り物
今回私が一番心惹かれたエピソードが「観音菩薩像」。波山の故郷・下館で、日中戦争や太平洋戦争の遺族に、波山は小さな観音菩薩像を彫り贈っています。その数なんと260点以上。
それだけでも波山の地元の人々、戦争の遺族への優しさを感じさせますが、個人的に胸を打ったのは、その像を贈る時に桐箱に入れて、箱に故人の名前と「帝室技藝員」の朱印と波山の署名を入れたとのこと。
展示解説には一切言及がないので、私の想像でしかないけれど、この箱書きに「帝室技藝員」の朱印と署名、また故人の名前まで入れたことが凄く意味を持っていると思う。波山はもちろん故人を弔い、遺族の心に寄り添うものとして観音菩薩像の彫刻を贈っているけれども、同時に「帝室技藝員」という肩書の強さを自覚した上で、遺族たちが生活が立ち行かないなど困った時は、それを売って生活の糧にもできるようにという狙いも少なからずあったのではないかと想像します。
最後に
ずっと気になっていた板谷波山の世界にこれでもかと没入することができた、非常に見ごたえのある展覧会でした。アール・ヌーヴォーの作風が好きな人には絶対に刺さる展覧会だと思います。
そして、私は結局断念したのですが図録もおススメです。作品画像、解説も充実している感じでしたし、なにより図録の表紙の質感が光沢がありつつマットな質感で、まるで波山の作品をなでなでしているかのような気分になれます。
私は懐紙を購入しました。波山の作品らしく淡い色調で、重要文化財で泉屋博古館所蔵の《葆光彩磁珍果文花瓶》の仏手柑(?)がワンポイントであしらわれています。
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