北区飛鳥山博物館「幻想の江戸」展

美術

桜のピークが過ぎつつある2020年4月10日。東京で桜と言えば現在では上野が真っ先に思い出されるだろうが、実は上野からほど近い”王子”にも桜の名所がある。JR王子駅からすぐ、飛鳥山公園だ。休日になると小さな子供がいる家族で公園内はにぎやかだが、この桜の時期は一層賑々しい。そんな飛鳥山公園の中には3つの博物館があるが、その中でも飛鳥山博物館で、大変興味深い展覧会が開催されている。

「幻想の江戸 -異文化のまなざしに映った他者・表象・言説-」展 概要

「幻想の江戸」展
場所:飛鳥山博物館
会期:3/23~5/14

開館時間:10時~17時
(常設展示室観覧券の発行は~16時30分)
休館日:毎週月曜日
(国民の祝日・休日の場合は開館、直後の平日に振替休館)
観覧料:無料 ※常設展示室は有料


幕末に江戸とその郊外を訪れ、さまざまな記録を残した欧米人によって描き出された飛鳥山・滝野川・王子稲荷などの地域イメージを改めて展望し、異文化交流の姿を展観するものです。展示を通して、前近代から近代へと変遷をとげた地域の姿を、みなさまとともに見つめなおす機会となれば幸いです。

飛鳥山博物館HPより

展示構成

第1章 江戸へ行きたい‼郊外が見たい!

幕末期、「開国」以降様々な外国人が日本にやって来た。基本的に外国人は外交官を除き、一般の商人らは港のある横浜を中心に10里の範囲しか行くことが認められていなかったが、公使の招待という事であれば江戸を訪れることができた。

しかし、実際の記録などをみると、多くの文献から江戸郊外への関心が寄せられた記述が見て取れる。王子は江戸時代、8代将軍吉宗が飛鳥山に桜の木を日本人にとっても名所として親しまれていた場所である。王子を訪れた外国人らが当時の江戸郊外をどのようにみていたのかを辿る。

”日本のリッチモンド”ーー王子

飛鳥山から眼下に広がる田畑の風景は、イギリスから来た者たちに自国の「リッチモンド」の風景を思い起こさせ、王子はしばしば”日本のリッチモンド”と称された。リッチモンドとは、ロンドンの南西に位置する国立公園。丘陵からテムズ川が眼下に広がり、リゾート地として、あるいはピクニック先として親しまれている。

会場内のパネルには、リッチモンドの風景の写真も掲載されており、言われてみれば確かに丘からの眺めは飛鳥山から麓を見下ろした時の光景と似ていなくはない。実際には今の飛鳥山からの眺めはJR王子駅と、駅前の賑わいで決して似ている訳では無いが、当時この駅前が田畑だったと考えれば重なりそうである。

楽園としての王子

のどかな風景が広がり、茶屋では楚々とした女中らが甲斐甲斐しく世話をしてくれるーー外国人たちは王子での滞在を”楽園”のように表現している。王子の名所と言えば春は飛鳥山の桜、夏は川涼み、秋は紅葉に、冬は雪見、そしてそれらの景色を楽しむ上でも料亭の存在は欠かせなかったようだ。「扇屋」と「海老屋」が王子の二大料亭だったという。

二代歌川広重・三代歌川豊国《源氏合筆四季 夏王子音無川夕すすみ》 日本人にとっても「王子=料亭」のイメージが定着している
ステレオスコープ
除くと3Dのように景色が浮かび上がる

王子はプラントハンターにとっても楽園!?

19世紀には世界中をプラントハンターが駆け巡った時代。つまりイギリスの茶貿易が象徴するように、西欧にとって未開拓の地の植物は新たなる”商品”の宝庫でもあったのだ。植物学者でプラントハンターとして名高いロバート・フォーチューンも日本、そして染井・王子を訪れ、江戸時代の日本の園芸文化の発達ぶりに驚嘆したという。

よもつ
よもつ

江戸時代の園芸ブームの過熱ぶりは知っていたけど、イギリスから来た外国人から見ても驚くほどだったのねぇ。

第2章 魅惑の王子・飛鳥山

第2章では、さらに幕末、明治期に王子を訪れた外国人が残した言葉(書籍)や写真を紹介する。彼らが見た王子とはいかなる場所だったか、それは裏返せば「彼ら”が”王子をどのような場所として”見たか」でもある。遥か遠い国から来た「他者(=外国人)」は王子という地に何を求めていたのだろうか。

左ページの写真は王子で有名な料亭だった「扇屋」の外観

慶応3年(1867)世界一周旅行の途中、日本に35日間滞在した当時21歳の青年、ボーヴォワール伯爵(1846~1929)は、5月1日に王子を訪問した。その描写を読むと「アルミドの庭」、「妖精でも住んでいそうな緑」の場所として、王子の地が記される…

展覧会パネルより引用

「江戸に滞在しているすべてのヨーロッパ人は、風景の美しさでこれらの村の中でも一番の王子を訪れたものである。それは水の澄んだ小川の近くにある、眺めのよい丘を背にしている。美しい季節には町人の家族がよく古木の蔭や、そこにたくさんある茶屋で休む。

リンダウ著『日本周遊旅行』/展覧会パネルより引用

王子にはここ以外にはちょっとないような、シンプルで美しい茶亭があります。ここの呼び物と言ったら少し血色こそは悪いですが、しかしまことに優美なお作法をする、かわいらしい少女たちによって供される緑茶と、お箸を使って食べる、野菜と魚が取り合わさった素晴らしい食事です。この地域は気高い森が多く、英国の多くの場所と同様に非常に美しいところで、しばしば生垣に囲われています。農家はきれいに屋根が葺かれ、英国ではほとんど知られていない花でいっぱいの庭もあります。中国の人々と同じように日本人にも、優美な庭師の才能があると言えます。」

英国海軍軍人コルヴィル/展覧会パネルより
よもつ
よもつ

西欧の視点からの”未開”である王子(江戸近郊)が、西欧の「観光地」として組み込まれていく感じが何とも言えない。何か特定の”イメージ”でラベリングすると、それを知った人が後から訪れ、その「イメージを再確認する」→「イメージの繁殖(再生産)」→「その期待に応えるかのように現地の人間によって強化」というサイクルに組み敷かれていく感じにモヤモヤする…。

第3章 江戸みたい、だけどこれも江戸

展覧会の後半は二代歌川広重と三代歌川豊国の合作《江戸自慢三十六興》と、エメ・アンベール=ドローの著作『幕末日本図会』の中で各地についての言及を照らし合わせるという展示。

※エメ・アンベール=ドローについては、下記のリンクを参照

エメ・アンベール=ドロー(1819~1900) | Grand Tour of Switzerland in Japan
ビジネスマン、政治家、旅行者としてスイスと日本の二国間関係の確立のために奮闘したエメ・アンベール=ドローの足跡をたどってみましょう。

《江戸自慢三十六興》と「アンベールの言説」の共鳴

興味深いのは、外国人であるアンベールの着眼点が、浮世絵(ひいては日本人自身)が認識している名所ポイントと共通する部分が多いという点。本展では浮世絵とアンベールの言説を記したパネルを並列させて展示しているが、そのまま浮世絵(名所)の作品解説になるほど。アンベールの視点が”他者”としての眼差しから、自国の人間に近い眼差しになっていると言うべきだろうか。

あるいは当時の名所絵自体が”他者”の眼を意識した上での表象であるからか。あるいはそもそも各地の人々自体が”他者”の視線を意識した上でそう振る舞うように最早なっているからか…。

摺りの状態が非常に良い!

ついついアンベールの言説との比較をして描かれている絵の内容ばかりを追うことに終始してしまいがちだが、展示されている浮世絵の状態がとてもいいように感じた。《江戸自慢三十六興 佃沖》の夜空は木目の筋が見えるほどで、繊細に摺られた夜空が気持ちいい(摺りがあまり良くないとベタっとした空になって重苦しい印象になっただろう)。

また初代広重の《名所江戸百景》の王子の狐の夜空も、ずっと黒だと思っていたが、深い藍色で画面の奥行きと大晦日の夜の静寂が感じられるほどだ。

シリーズ物の浮世絵はつい一瞥して内容を把握したらすぐ次の作品に進んでしまいがちだが、展示の作品はどれもじっくり見ても味わい深い状態なので、「もう良いかな」と思ってからさらに10秒、20秒と長めに観てほしい。発色のきれいさ、線の細やかさなどに気づくだろう。

本展の意義

私が本展に対して大変興味深く感じたのは、この他者(外国人)からの視点、称賛を手放しで喜んではいない点。「地元の博物館が、地元の人に向けて、地元の歴史を紐解いて、地元の良さを再認識する」という”地元礼讃”という無邪気な展示なのかと思っていたが、とんでもなかった。

というのも、展示の前半、様々な外国人が王子を訪れた際の感想として述べる”理想郷”の様子に、私は正直得も言えぬ”気持ち悪さ”を感じていた。

誰もかれも、王子での様子を「のどかな風景で、美味しい食事が供される茶屋が並び、そこでは美しい(無垢な)女性(少女)らが働き、食膳を運んでくれる、そして風光明媚な景色を愛でながらゴロリと横になって寛ぐ…」といった感じで回想している。

素敵な場所だと皆が言っているが何とも言えず気持ち悪い…それはつまるところ、「持てる者」が「持たざる者(場所)」の”プリミティブさ”を楽しんでいる、帝国主義的な視点だからだ。西欧からの人々の視線は、自国にはない「理想郷」の投影であり、それは少し乱暴な言い方をすれば「搾取」とも言える。今の時代の出来事でたとえるなら、都市部の人々が田舎の風景や暮らしを過度に賞賛するようなものだろうか。

その視点の(極端な言い方をすれば)”暴力性”について表立って主張はしていないが、本展のキャプションを注意深く読んでいけば、その視点の危うさに言及されている。外国人による”王子礼讃”の奥に潜む強者と弱者の構造に実は鋭く目が向けられているのだ。

表象されること、それによって消費されることの側面も語られている点が、本展の意義を一層深くしていると感じ、「地元の人(だけ)に向けた地元礼讃」の域を出た骨太な展示になっている。

おまけ

お土産の博物館のカフェで売っていた桜餅(2個で380円)。家で抹茶と共にいただいたけど美味しかったー!

本当なら桜の名所である飛鳥山でそのまま野点ができたら良かったんだけど…。来年までに野点セットを手に入れるか…。

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