近代の日本の美術を語る時、これまで多くの場合は「東京」と「京都」の話であったが、近年ようやく「大阪」にもスポットが当たるようになった。そして今回、東京ステーションギャラリーで明治から昭和前期にかけての大阪で活躍した日本画家を大々的に紹介する、その名もずばり「大阪の日本画」展が始まった。
すでに大阪中之島美術館で開催され、本場・大阪の地で大盛況のうちに終わった本展は、大阪中之島美術館が長年かけて収集したコレクションを中心に全国から集めた約150点の作品(出品作家は50名超え)が集う、まさに“大阪総出”の展覧会だ。
この3人だけは覚えて!北野恒富・菅楯彦・矢野橋村
本展を担当した大阪中之島美術館の林野雅人氏によると、数多いる大阪の日本画家の中でも「この3人の名前だけでも覚えて帰ってほしい」という気持ちから、本展では6章構成のうち3章を、北野恒富・菅楯彦・矢野橋村という3人の画家(と門下または系譜)にそれぞれ独立した章として取り上げている。
“悪魔派”と呼ばれた北野恒富とその系譜
北野恒富(1880-1947)は大阪の日本画家の中でも近年特に人気の高い画家の1人。大正期頃に開花した退廃的で妖艶な恒富の美人画は、京都の画家たちから「画壇の悪魔派」と揶揄された。しかしその揶揄はむしろ、どこか不穏な空気も纏わせた濃厚で蠱惑的な恒富の女性像の魅力を端的に表現している。本展では、そうした“恒富らしい”美人図だけでなく、簡潔な線と淡麗な色彩の《真葛庵之連月》のように、晩年の新たな境地へと到達した作品も展示され、恒富の美人画の変遷も追うことができる。
そして中村貞以や島成園など恒富の弟子たちも、師の薫陶を受けてそれぞれ濃密な画風を形成した。
展覧会でも、とにかくまずは北野恒富の系譜のこの「デロリ」とした濃密な美人画に溺れてほしい!!!!(という気持ちの表れか、展覧会でも第1章として紹介されています)
一度目が合ったら逸らすことができないほど、じっと見つめる恒富の描く美人画は必見。
大阪の風俗を愛した“浪速御民”・菅楯彦(すが・たてひこ)
近代化の中で失われつつある大阪の風俗を温かみのある画風で描いた菅楯彦(1878-1963)は、「浪速風俗画」という独自の画風を形成し、大阪の地で人気を博した。自身で「浪速御民(なにわみたみ)」と標榜するほど大阪の町を愛し、この地で大阪の風俗を描き続けた楯彦は、昭和37年には最初の大阪名誉市民に選ばれている。
出品中の楯彦作品でも最大級の《舞楽青海波》は、舞楽の演目「青海波」を舞う様子が描かれている。背景を一切描かず、2人の舞人と彼らを取り囲む垣代(かきしろ)と呼ばれる人たちという大胆な構図と装束の緻密さと華やかさに目を奪われる。しかし作品の風情は大味になっておらず、むしろ所々に舞う桜の花びらからは春の穏やかな風と典雅な空気を感じさせる。
こうした市井の日常、祭りの活気など、大阪の風俗を描くことに生涯取り組んだのが、楯彦の弟子である生田花朝だ。祭りに熱狂する人々の姿や、日々の日常の喜びを鮮やかな色彩で描いた作品は陽気で祝祭性に満ちている。繰り返し描いた天神祭、貝塚市の浜辺の風景を大パノラマで描いた《泉州脇の浜》は日常生活そのものを祝福するような輝きに満ちている。
「ハレ」である祭りの光景を沢山描いた花朝の作品は見ていてウキウキするし、だからこそ花朝が描く日常の光景は、「日常こそハレ」であるというメッセージにも感じる。横長の《泉州脇の浜》は海辺の光景を描いた西洋の洋画家、ウジェーヌ・ブーダンを彷彿とさせる。
新しい文人画=新南画を確立した矢野橋村(やの・きょうそん)
元々大阪では文人画や中国趣味の文化が受容されてきた土地だが、その中で、より日本の風土に基づく新しい文人画を描こうと試みたのが矢野橋村(1890-1965)だ。
大阪人に密やかに愛された「船場派」
以上の3人、特に恒富や楯彦のような作品を見ると、大阪人は色彩豊か、砕けて言えば“派手”なのがお好み…と思うかもしれないが、それは早合点。
多くの商家が並び、町人文化の中心地であった船場(せんば)界隈では、床の間を飾る絵にスッキリとして瀟洒な作品が好まれた。本展ではそうした作品を手掛けてきた画家たちを「船場派」と称して紹介する。強烈な個性を放つスター的な画家だけでなく、さりげなく日常を彩ってきた「船場派」の画家たちを取り上げる点も本展の大きな功績の1つだろう。
大阪人の家の中で密やかに愛されていた作品たちというのが、奥ゆかしくっていい!時代が「モダン」になる中で、こうした作品も根強く愛されていたのも、大阪という街の奥深さを感じる。
様々な切り口で楽しめる「大阪の日本画」
50名を超える画家が集結する本展、その画風・画題の特徴も実に様々なので、ぜひ自分の好みの作家を見つけてほしい。その中で今回私が特に注目したいのは次のトピック。
芝居の町・大阪
北野恒富をはじめ、展覧会では歌舞伎や文楽(人形浄瑠璃)を題材にした作品も展示されており、大阪が芝居の町でもあったことを感じさせる。物語の中に登場する悲劇の女性や芸の道に生きる役者、風情を醸し出す三味線の音色…一瞬にして幻想の世界に引き込む”芝居”の世界が、画家の創作意欲を掻き立てない訳がない!!
そうしたある種の”秘境”である芝居の世界と、アクの強い大阪の日本画との相性が抜群だ。
特に衝撃を行けたのが、下の画像の山口草平《人形の楽屋》。薄暗い建物の中で、文楽で使う人形たちがひっそりと置かれている様子が描かれているのだが、展示会場の中でもこの作品の前だけ冷たい空気が流れていて思わずゾクッとするほど。舞台の上ではまるで人間さながらのように動く人形たちが、魂が抜け出たように置かれていて、虚ろな雰囲気が漂う。
舞台上の世界が「虚」であって、楽屋の状態が「実」であるのに、舞台上の光景しか普段見ることのない我々には、この冷気が漂う楽屋の光景の方が現実感のない「虚」の姿のようにも感じられる。虚と実が曖昧(ない交ぜ)になる芝居の独特な世界がこの作品に込められている。
変わりゆく大阪の街並み
江戸時代の名残りと近代化の狭間の中で、画家たちは大阪の光景を絵にしてきた。それは画家にとって馴染み深い光景が失われていくことへのノスタルジーでもあれば、”モダン”になっていく大阪の街への期待でもある。
本展の最後は、近代化した大阪の街の光景で締め括られる。さて、それはいったいどんな光景かというと、それは展示を見てのお楽しみ。
この作品を見た瞬間、無性に大阪に行きたくなった!!大阪の街がいかに美術に親しみ、東京とも京都ともちがう、独自の美意識を育んできたかを感じることができる展覧会です!
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