s**t kingz日本武道館「THE s**t」(下)

エンタメ

『Oh s**t!! feat. SKY-HI』『衝動DO feat.在日ファンク』『KID feat. LEO (ALI)』

後半戦の映像の後、ポップアップで盛大に登場する4人。ぶちかますのは『Oh s**t!! feat. SKY-HI』。「音楽の日」でも踊って世間的にもシッキンのパフォーマンスの代名詞的な楽曲となったこの1曲。足捌き、振り、フォーメーション、存分に見せつけてやる!!という気概が見えるし、見せつけられたい!

そして恒例の「会場全体で踊るパート」となる。この「教育テレビの収録かな」っていう位に微笑ましい時間がシッキンのライブの幸せな時間の1つ。「歌のお兄さん」ならぬ「踊りのお兄さん」が会場の熱気を解きほぐす。途中で映った会場の女の子の映像に私の中の持て余した母性が嗚咽する。

そこからの「衝動的に体を動かせば、もうそれがダンスだ」というコンセプトの『衝動DO feat.在日ファンク』に入る。ファンからの応募による“衝動的に踊った動き”を振りの中に取り入れた、ファンとの合作と言える作品で、ダンスができる人もできない人も一緒になって踊れる、ファンにとっても愛着ある一曲。途中のズビズバゲーム(Oguriが即興で出す音とリズムに合わせて衝動的に踊る)では舞台監督とマネージャーのヘスさんが指名される。2人共多分踊ピポで鍛え上げられて、完成度の高いズビズバダンスを披露する。

そしていよいよ、お待ちかねのお時間です。『KID feat. LEO (ALI)』―サビでタオルを回すことを前提に作られた一曲。この時ばかりはバンドメンバーもタオルをぶん回す。ピンクと黄色のタオルが会場全体で回る回る。回すのに必死で4人が何していたかちょっと記憶がない。笑
でも多分それで良い。だって世界の中心は私なのだから!

『No End feat.三浦大知』/三浦大知『I’m here』

ボルテージが最高潮に達してからの暗転、しばらくして太陽のような映像が映し出される。飛び跳ねて、タオルぶん回して、体も脳も沸騰してボウっとした状態でステージを見ていた次の瞬間、ステージの中心に一人の人物が現れた。

それが三浦大知だと分かるまでに何秒かかっただろうか。シッキン以外が立つはずないステージに当然のように居て、黙って立つその人の姿が、少し恐ろしかった。ちょっとしたパニックを起こしながら、ふと「神が降りてきた」と思ったのはなぜだろう。

No End feat.三浦大知』。

この武道館単独公演のテーマソングでありこれからのシッキンの決意表明でもある一曲がついに来た。1段高いステージで歌う三浦大知。その下で踊る4人は「キレキレ」なんて軽い言葉じゃ収まらない。「重い」のだ。もちろんパフォーマンスのキレがないという意味じゃない。むしろ今まで見たどのパフォーマンスよりもキレが鋭い。なのに重い。それは神の声で動く鬼神のごとき、「存在の重さ」だ。三浦大知の生の歌声は、音源のそれより、もっと歪んでいたり複雑なニュアンスを帯びていて、この曲の持っている印象がさらに複雑になった。そしてその歪のある力強い歌声が後ろからシッキンを焚きつける。その声に押されるように、その声を体に宿すようにして踊る4人の姿が、今まで見たどのパフォーマンスよりも鋭く、熱い。「壊れるまで」という歌詞でさらに踊りだす彼らの姿が怖い。本当に壊れるまで踊りそうな気迫があって、別の何かになってしまったようで。歌詞の中に出てくる「宇宙が震えてる」の言葉をこんなにも体現することがあるのだろうか。そして、そんな鬼気迫るダンスを踊りながら4人が楽しそうなことに、この日何度目の胸が苦しくなる思いを感じただろうか。

ちなみに、武道館当日の夜に勢いでX(旧twitter)に投稿したのがこれ。

今、改めて配信を見ても、冒頭の「命を燃やして」のところ、今まで「炎」を表現しているんだと思っていたし(多分そうなんだろうけど)、武道館のこの時ばかりはやっぱり何度見ても「阿修羅」なのよ。


私の知っている『NoEnd』のはずなのに、私の知らない世界だった。そんなパフォーマンスをした後のMCで、ようやく5人が「人間」に戻ったように思えた。盟友・三浦大知の登場に湧く会場。懐かしい気持ち、共にエンタメの世界で切磋琢磨し続けてきた15年という時間、そして今日、夢でしかなかった舞台に5人でいる。「三浦大知とシッキンの武道館でのツーマンライブ」という新たな夢を思わず口にする三浦大知と、それに湧くシッキンと会場。そんな思い付きを思わず言ってしまいたくなるくらい、彼らはダンスに対していつまでも無邪気で、そして真摯に向き合っているんだと改めて感じる。

そしてそこから三浦大知の楽曲でシッキン含めて5人で振付を制作した『I’m here』が披露される。『NoEnd』の鬼気迫る重さから一転、ダンスが好きで踊りつつげた5人の等身大の軽やかさが眩しい。わずか数分の時間が15年となり、永遠になった。5人で分かち合う幸福な空気が、武道館全体に広がる。

『独裁者』

武道館ライブのハイライトが終わった……と思ったのも束の間、映像が流れる。彼らの若かりし頃の写真と共に流れてくるのは、分断されていく社会に対するメッセージ。その思いを抱えて踊るのは、『独裁者』。

まさかこのパフォーマンスを武道館公演で見ることができるとは思わなかった。チャップリンの『独裁者』のスピーチの音源でダンスを踊ったパフォーマンスだが、搾取され、争いに巻き込まれ、淘汰の渦に飲まれそうになる社会の中で、尊厳を守ろうとする人間の在り方を踊る。痛みを痛みのままに、憤りを憤りのままに…
ちなみに、『独裁者』のパフォーマンスについては、これを発表した当時(関ジャムで紹介された時かな?)に詳しく感想を書いたので、もし興味があれば下記の記事も読んで頂けると嬉しい。



これを武道館で披露する選択をした彼らにファンとして誇らしい。史上初の偉業であるこの日にこのメッセージを踊る。大変なことだったのではないかと推測する。権利関係の問題もあるだろう。メッセージが重くデリケートであるために、どこでどう入れるか、前後の展開とのバランスのこともある。このパフォーマンスをここで披露しなくても、「俺たちが伝説作るぜ!」というノリで終わらせたって誰も何も気にならなかったはずだ。でも彼らはそうしなかった。仲間が不条理な苦しみに巻き込まれている現実があること、苦しんでいる人がいるということに目を背けない。そして、「伝説の1日になる」日だからこそ、あえてこの作品を踊る。そのことがこのメッセージを最大限伝えることにもなる。だからこそ今日おどることに意味があり、価値がある。そう判断した彼らの戦略的な判断を讃えたい。

『I‘ll be there』

そして、ラストのMC。4人が改めて15年の思い、今日この公演をみてくれている人へのメッセージ、ダンスというエンターテイメントを届ける覚悟を語る。

そして、そんな彼らが最後に踊るのは、もちろん『I‘ll be there』。彼らの15年を凝縮した一曲であり、これからもずっと踊り続けるよという約束をしてくれる一曲だ。私はこの曲の中で、shojiのソロパート(一人サラリーマンで他の3人がダンサーとして進んでいる間に一人置いていかれていると葛藤していた時期を表現したシーン)が好きだ。何が好きかもわからないでいた自分と重なるからだ。「あぁこれは私の物語だ」と思えるのだ。世界的ダンサー(となる人)の苦しみと、自分の苦しみを同じだと思うのはおこがましいかもしれないが、苦しいという感情の重さ、足が鉛のように動かない心の重さはわかる。だからこそ、ラストのサビの怒濤の激しいダンスが胸を打つ。

私はシッキンを好きになって5年なので彼らの歴史の3分の1を知ってる程度だ。でも「あの頃を知っておけば良かった」と多少思うことはあっても、彼らと出会ってなかった10年がそんなに悔しくない。だって「今」が一番彼らのパフォーマンスが最高だからと思えるからだ。『I‘ll be there』のラストはまさにそのことを約束してくれる。「今」この瞬間が最高の時だと。そして、未来はもっと最高のステージを届けるよと。

さいごに

全てのパフォーマンスが終わった後、同行者に向ってずっと口にしてた言葉は「幸せな時間だった」ということだ。「最高!!!」とか「やばい!!!」とか「カッコよかった!興奮した!」とかじゃなく、ずっと「幸せな時間だった」と言っていた。

怒濤の2時間はあっという間で、楽しかったし、カッコよかったし、面白かったし、泣けたし、笑ったし、興奮したし、しっとりとした気分にもなったし、苦しみを苦しみとして感じる瞬間もあったし、この世にある感情のすべてを感じたような2時間で、でもシッキン4人が放つパワーはどこまでも幸せに向かっている。そう信じれる。そう思った。

「史上初、ダンサーによる日本武道館の単独公演」という快挙は、s**t kingzの歴史においてエポックメイキングで、日本のダンスシーンにおいて「革命」をおこしたのだろう。その業界の中にいない私にとってはそのすごさは、本当の意味では理解できないけど、8000分の1としてあの場にいた者として、確実に言えることがある。「私の心は震えた」と。

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