「芭蕉と蕪村と若冲展」@福田美術館

美術

展覧会概要

紀行文『奥のほそ道』で知られ、「古池や蛙飛び込む水の音」など有名な句を残した松尾芭蕉。没後50年には、彼を顕彰する動きがみられるようになります。その牽引者であったのが、京都の与謝蕪村。蕪村は若い頃に俳諧を学び、諸国をめぐって以降、40代で京都に定住します。そして俳句と絵が一緒になった「俳画」という表現を確立します。

蕪村が京都にいた頃、京都生まれの絵師・伊藤若冲も自身の絵の道を邁進していました。若冲と蕪村の直接的な交流を示す資料はありませんが、同時期に生きた若冲と蕪村、そして後世の芸術家たちに大きな影響を与えた芭蕉の三人の作品をみることで、それぞれの目指した美の極致をみていきます。

「芭蕉と蕪村と若冲」展

会期:2022年10月22日(土)~ 2023年1月9日(月・祝)
開館時間10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、展示替え期間、年末年始
入館料:一般・大学生:1,300円、高校生700円、小中学生400円
※障がい者と介添人1名まで:各700(600)円
※オンラインチケットだと100円引き

展覧会HP:https://fukuda-art-museum.jp/

よもつ
よもつ

本展は福田美術館と近隣の嵯峨嵐山文華館の2館で開催されているので、本展を余すところなく味わうなら嵯峨嵐山文華館もお忘れなく!

と言いつつ、私も京博の「茶の湯」展に気を取られて嵐山文華館をパスしたのだけど、改めて出品リストをみたら、やっぱり行っておくべきだったと後悔。

本展で鑑賞できる若冲ファン必見の作品3選

大学・院生時代に伊藤若冲を研究対象としていた私としては、やはり若冲の作品が気になるところ。まず本展で見ることができる若冲作品から、特にファン必見の3点を紹介します。

山水図扇面(伊藤若冲下絵、梅荘顕常賛)

今回の展覧会で一番心の中で「うぉぉぉぉぉ!!!!」と叫んだ作品。若冲の版画作品はいくつかあり、その中でも「拓版」と呼ばれる技法で作られた《乗興舟》は白と黒のモノクロームの画面で淀川下りの様子を表した傑作。

拓版とはいわゆる浮世絵のように版木に絵の具をつけて紙に写し取るのではなく、魚拓のように、濡らした紙を版木に密着させて彫っていない部分を墨や絵の具で塗る技法のこと。この扇面図は特に彩色が施されており、若冲の拓版画で彩色されている唯一の例となるとのこと。

この作品が存在しているということのポイントは次の3つだと思う。

①扇面図という形式…当時の文化人サロンの中での交流など想像させる
②旅への憧憬…《乗興舟》とも通じる趣き
③版画制作の試行…若冲の版画作品の変遷の重要な資料

まず①の扇面図という形式についてだが、若冲が扇面形式のものを作っているということが私の知る限りではなかったので新鮮だった。それと同時に、扇面図が日用品(贈答用)としての絵、あるいは個人が楽しむための絵としてなど、割と小さいスケールの中で流通するメディアなので、そうした作品を作っていることの意味(背景)を想像してみたくなる。

その中で考えられるのが、当時の文化人たちのいわゆる「サロン」の集まり。これまでにも複数の画家が描いた作品を1冊にまとめた画帖に若冲が加わっていたりする作品は、私が大学を出てから、ここ10年ほどの間にちらほら見るようになったので、そうした「サロン」の中に若冲がいたことは想定できるが、この扇面図を見て、個人的な求めに応じて作ったのか、あるいは彼らに配るために版画で作ったのかな…など想像する。

②の旅への憧憬も、《乗興舟》のテーマが淀川下りで、この扇面図も画面の外に向かって馬に乗ってどこかに向かっている人が描かれており、何か少なからず「旅」がテーマにあったのだろうかと思いました。それが「旅への憧憬」なのか「郷愁」なのかはわからないが、若冲の描くテーマの1つにそうしたものがあったことが言えそうな気がして興味深い。

③については、作品の雰囲気からいっても《乗興舟》とそう大差ない時期に作られているのではないかと思うので、版画作品の試行錯誤の様子がうかがえるのは、若冲の画業を考える上で重要な一例になると感じた。

《蕪に双鶏図》

福田美術館を代表する作品に君臨しつつある《》。若冲の画業の初期作品であり、かつ若冲の代表作of代表作である《動植綵絵》を彷彿させるほど、《動植綵絵》に通じる要素が備わっている作品。

《動植綵絵》が若冲の世界を「完璧」に作り上げた作品とするならば、この作品はそこに至るためのまだ進化の途中で、初心な部分(より写実的に描こうとする方向性)と確立されつつある若冲様式(デフォルメしようとする方向性)が混在していて、《動植綵絵》とはまた違うエネルギーに満ち満ちた作品。

この作品が最初にお披露目となった『若冲誕生』展では、本作は細見美術館所蔵の《雪中雄鶏図》よりも前の作品と推定していたけど、私個人としてはその後、《雪中雄鶏図》⇒本作⇒《動植綵絵》のように思うのだけど。。。

《雪中雄鶏図》は写実性の高い(実際の光景を目にして描いているような自然さがある)作品だと思うのだけど、本作は画面のサイズ、雄鶏のデフォルメされた姿勢、植物の配置の仕方などが明らかに《動植綵絵》寄りなので、本作と《動植綵絵》の間に《雪中雄鶏図》があるように思えず…。ううむ。

《托鉢図》

托鉢の様子を描いた作品で、一見して「かわいい」作品。こういうの描かせてもニクイ絵を描いてしまうのが若冲のずるいところ。一人ひとり表情が違うのもニンマリしてしまう。

できたら解説に賛に何が書いてあるのか書いてほしかった。

若冲のこうした戯画っぽい作品を「若冲らしいユーモラスな造形感覚」という感じで語られることが多いように思っていたのだけど、そのユーモラスな造形感覚を養う素地として、私は俳画や狂歌などの世界(文化人)との交流があったのでは?と思っているのだがどうだろうか。俳画の世界を確立した蕪村と直接的な交流はないようだけど、京阪の大きな「文化サロン」の中で醸成されたムードのようなものはなかったか?

そう思うのも、「雅俗融和」ではないけれど、若冲の中で「中国=雅(憧れ)」「日本=俗(卑近なもの)」という線引きがあり、そうした身近な存在やテーマ、あるいは日本由来のものに関しては戯画のように描いている印象がある。100%そうと言い切れるわけではないが、身近な風俗に対して「軽やかに描く」感覚というのは、狂歌や俳句(芭蕉の句)、俳画などの感覚と通じるところがあるのではないかと思う次第。

松尾芭蕉の直筆の書画《野ざらし紀行図巻》が一挙大公開

そして、本展の最大の展示が、松尾芭蕉の直筆の書画である《野ざらし紀行図巻》。松尾芭蕉の句は有名なのですぐ出てくるが、有名すぎてその句ばかりが独り歩きしてしまって、一人の人間としての「松尾芭蕉」の実在感がなかったのだが、ようやくその輪郭がおぼろげながらつかめるような心地がした。

そして絵が普通にうまい(笑)。もちろん専門の絵師のような「簡潔に描きながら鋭い描写力」というほどの冴えが、その構図や描写にある訳ではないのだけれど、それぞれの土地で体験した天気、空気、風情といったものをほのぼのと捉えている。

富士川にいた捨て子に食料を与えた芭蕉。

ドキッとしたのが、「富士川の捨て子」の段。捨て子に一時しのぎと分かっていて食料を与えたという話を絵と共に綴っている。風光明媚な光景に心躍らせているのではなく、旅の中でこうした死の匂いをも感じ取りながら歩いていたのだな、と実感。

展示室内の解説パネルが至れり尽くせり。

野ざらし紀行図巻はまだまだ続くが、この解説パネルの充実っぷりで飽きることなく見ていられる。これは図録にしてほしいレベル。このパネルの解説と図版で600円くらいだったら買ったのに(さすがに安い?)。

さいごに

若冲の扇面図の「旅への憧憬」ではないけれど、今回の展覧会で「芭蕉」「蕪村」「若冲」というキーワードが3つ並んだ時に「これまでそれぞれ点でしかなかったものが、じつは緩やかな「線」としてつながる(とまでは言えなくても「通じる」)部分がある」というのが言えるようになったのでは、と期待した。

残念ながら私の期待するストーリーはなかったが、《乗興舟》に通じる《山水扇面図》と《野ざらし紀行図巻》を同時に見ることで、若冲、芭蕉、蕪村の3つが、それぞれの生涯で語るだけでは見えてこない糸でつながっているように感じた。(例えば、野ざらし紀行図巻も《乗興舟》もラストが橋で終わっているし、時代・メディアは異なれど「東海道五十三次」シリーズもラストは三条大橋。旅の様子を描いた図巻の1つのセオリーのようなものがあったのかなど、「旅」や「俳諧」を切り口に、もっと突っ込めそうな気もするが…それは素人の早合点でしかないのかしら)

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