名画を表紙にした小説ー日本美術編ー

本・漫画

小説を選ぶ時の基準はありますか?「話題の本だから」「〇〇さんがおススメしていたから」「好きな作家だから」…色々な基準があると思います。でももし、いつもとは違う1冊を選んでみたいと思ったら、ぜひ小説の「ジャケ買い」をしてみませんか。

たとえば名画を表紙にした小説があります。今回はその中でも日本美術(日本人の画家・アーティスト)の作品を表紙にした小説をご紹介します。

※今回の記事では、画家を主人公とした小説は含みません。

青山文平『跳ぶ男』/須田国太郎≪イヌワシ≫

江戸時代、貧しい藤戸藩の道具役(=能役者)の息子の屋島剛を主人公にした物語。装幀は須田国太郎の《イヌワシ》。太い幹の上に止まる一羽のイヌワシのシルエットが印象的だが、一見すると能の厳粛で厳かなイメージとは遠い気がするが、読んでみると猛禽類の鋭さ、生き残りをかけて一瞬の隙を突いて獲物を狙い、一気に飛翔する様が実にピッタリ!!

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須田国太郎について

須田国太郎
洋画家。京都帝国大学文学部で美学美術史を専攻,1916年大学院に進む。1917年から 2年間関西美術院で本格的に絵を学んだ。1919年ヨーロッパへ留学,主としてスペインでエル・グレコ,フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスらの作品を模写研究し,1923年帰国。和歌山高等商業学校,京都帝国大学の講師を務め,1934年独立美術協会会員。暗褐色を基調としたモノクロームに近い画面は,東洋的感性とヨーロッパ的教養の融合を示した。また大阪市立美術研究所,京都市立美術大学などの教授を歴任し,美学美術史家としても有名。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ちなみに須田国太郎の《イヌワシ》は京都国立近代美術館に所蔵されています。

京都国立近代美術館
通常時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
夜間開館:毎週金曜日、土曜日
午前9時30分~午後8時(入館は午後7時30分まで)
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三島由紀夫『金閣寺』/速水御舟≪炎舞≫

言わずと知れた三島由紀夫の『金閣寺』。その中でも筆者が最も良いと思う装幀が速水御舟の《炎舞》の一部分を使ったこの装幀。

炎舞 文化遺産オンライン

作品自体は燃え上がる炎の上を数匹の蛾が飛んでおり実に妖艶で幻想的な作品だ。日本美術の火焔表現は様式的な形状でありながら、燃えあがる炎の熱さ、煙の息苦しさを感じさせ、日本美術の魅力の一つだと思っている。火というのは不思議なもので、命を奪い、あらゆるものを消滅させる恐ろしい威力を持ちながら、同時に観る人々に妙な高揚感、あるいはキャンプファイヤー人気のように心を鎮める効果もある。

そうした両義的な側面をもつ「火」、そしてそれを流れるような曲線で美しく表現する日本美術特有の火焔表現が、「金閣寺が燃える」という凡人には信じられない(信じたくない)前代未聞のどこか現実離れした出来事と、この上ない相乗効果をもたらしている。

特に速水御舟の《炎舞》はその炎の出どころなど具体的な状況を描写している訳ではない。暗闇の中、画面下から火が燃え上がり、その上を蛾が舞う。心象風景なのか、何かの暗示なのか、不穏さ、美しさ、妖艶さ…観る人によって受け取り方も様々であるだろう。

速水御舟について

速水御舟
日本画家。東京生れ。旧姓蒔田,本名栄一。松本楓湖に師事し,巽画会,紅児会で活躍,のち今村紫紅らと赤曜会を組織して新日本画運動を志向した。再興院展に出品し,1917年《洛外六題》で同人に推挙された。1930年ローマの日本美術展のために渡欧,その後花鳥画を多く制作。大和絵文人画の影響を受けたのち,宋元風の花鳥画形式の中に深い静寂に満ちた世界を構築しようとした。作品は《京の舞妓》《翠苔緑芝》《名樹散椿》など。

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速水御舟《炎舞》は東京・恵比寿の山種美術館に所蔵されています。

山種美術館
アクセス:
開館時間:午前10時から午後5時
休館日:毎週月曜日(祝日は開館、翌日火曜日は休館)、展示替え期間、年末年始
コレクションについて:https://www.yamatane-museum.jp/collection/collection.html

加藤元『蛇の道行』/片岡球子≪三国峠の富士≫

戦後の東京・上野で戦争未亡人を集めたバーを営む青柳きわと、その従業員の立平。一見親子ほどの年の離れた二人にはある隠された秘密がある。その秘密を周囲の者が知ろうとした時、二人は生き抜くために大胆な行動へと移って行く。

ギラギラとして堂々と聳え立つ富士が印象的な装幀は、片岡球子の《三国峠の富士》という作品。「蛇の道行」という少し不穏さを感じるタイトルからは少し遠く思えるが、一方で歌舞伎の道行物の舞台面のような鮮やかな明るさもある。(例えば『仮名手本忠臣蔵』の『落人』の通称で知られるお軽・勘平の道行は物語の設定で言えば早朝で、二人の心境としても決して晴れやかではないが、舞台装置の背景画はまるで昼間のように明るく富士が見える光景だ)

実際に作中の世界は実に重く暗い。「辛い人生」の一言では言い表せない辛さや業の深さをが次々に襲い掛かる内容であった。だからこそ強烈な色彩で厳然と聳える富士の姿が、かえって互いの本意であろうとなかろうと片身を寄せ合うように生きるしかなかった二人の生き方を際立たせているように感じさせる見事な装幀だ。

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片岡球子について

明治38年1月5日生まれ。吉村忠夫,安田靫彦(ゆきひこ)らに師事。昭和5年院展で「枇杷(びわ)」が初入選,27年日本美術院同人となる。母校女子美大の教授。歴史上の人物を主題にした「面構(つらがまえ)シリーズ」を迫力のある表現で連作し,50年「面構―鳥文斎栄之(ちょうぶんさい-えいし)」で芸術院恩賜賞。57年芸術院会員。平成元年文化勲章。平成20年1月16日死去。103歳。北海道出身。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

天童荒太『永遠の仔』/船越桂

本作は、以前中谷美紀さん主演でテレビドラマにもなったので、ドラマで知っている人も多いのではないだろうか。様々な家庭内の事情(性的虐待、ネグレクト、身体的暴力)が原因で恐怖症を患った3人の子供が精神科病棟で出会い、ある事件をきっかけに離れ離れとなる。彼らが大人になって再開すると再び事件が起き…という物語だ。

家庭内の虐待という非常にデリケートで重たい過去を背負う人たちを描いたこの物語の装幀には、船越桂の彫刻作品が用いられている。

船越桂 公式HP:http://www.katsurafunakoshi.com/
よもつ
よもつ

私にとって船越桂の作品を初めて目にしたのがこの『永遠の仔』の装幀でした。装幀が初めてのアート体験にもなるんですよね!

船越桂について

1951年、彫刻家で東京芸術大学教授の舟越保武の次男として生まれる。1975年、東京造形大学彫刻科を卒業、東京芸術大学大学院に進学する[1]。1977年、同大学院美術研究科彫刻専攻修了。1986年、文化庁芸術家在外研究員として英国・ロンドンに渡る。1988年、戸谷成雄植松奎二と共に第43回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表作家に選出される。舟越作品は好評を博し、帰国後には東京・日本橋の西村画廊で凱旋個展を行なった[2]。同年、第43回サンパウロ・ビエンナーレにも出品[1]

Wikipediaより

装幀の作品のように様々な人物の上半身の彫刻を手掛けている。実在の人物をモデルにしているが、作品は特定のアイデンティティは失われ、なにかしらの象徴的な存在感を纏っている。

2020年には渋谷の松濤美術館で個展も開催されている。この時の展覧会を見に行ったが、船越の作品の人物たちはいずれもまっすぐ澄んだ眼差しをしているのに、どこか朧気で儚い。静かで寡黙な佇まいなのに、ものすごく何かを訴えようとしている。何か言いたげなのに、言わない。でも何も抱えていない訳じゃない。そうした印象を強く受けるのだ。

そうした印象がどこから生まれるのか気になっていたが、じっくりと眺めるうちに1つの仮設が生まれた。それは眼の焦点が左右で微妙に違っているのだ。私はそれを「右眼で未来を見て、左眼で過去を見る」と感じたのだが、そうした左右の眼の焦点のずれが、目の前にいる人物(胸像)の背景へと想像を膨らませ、それは詰まるところ鑑賞者自身の心の奥底への瞑想につながっていく。そうした思考の深いところに誘う引力を船越の作品は持っている。なるほど、『永遠の仔』装幀にこれほど相応しい作品もないと心底思い至った次第だ。


いかがでしたか?装丁は小説とアート作品の最高のコラボレーションであり共鳴することで物語の世界が一層深まっていきます。また小説を読んだら、ぜひ美術館にも足を運んで実際の作品にも出会って見てください!

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