【レビュー】加藤元『蛇の道行』

本・漫画

あらすじ・プロフィール

あらすじ

第二次世界大戦後の東京。戦争未亡人を集めた「山猫軒」というバーを営む女主人・青柳きわとその従業員・立平のもとに一人の男がやって来る。戦争中にきわの夫と一緒だったその男は、きわの素性、そして立平との関係について探りを入れ出す。しかしある時その男が石段から足を踏み外して死んでしまう。

蛇の交尾のように二人で1つになって絡み合うようにして生きる若い男と妖しき女。過酷な人生をそれでも生き抜こうとする二人の”道行”の果てはーー。

作者プロフィール

加藤元(かとう・げん)
1973年、神奈川県生まれ。日本大学芸術学部中退。2009年『山姫抄』で第4回小説現代長編新人賞を受賞してデビュー。2012年『泣きながら、呼んだ人』がさわや書店のオススメ本年間第1位に選ばれる。著書に『嫁の遺言』『私がいないクリスマス』『キネマの華』『四月一日亭ものがたり』『十号室』などがある。

感想

新しい「道行」

「道行」とは歌舞伎や文楽で、主に男女による(死出の)旅を描いた作品を言う。想い合う二人だが、訳あって一緒になる事が叶わず、心中してあの世で一緒になるために死出の旅へと出る。そうした「道行」のイメージを踏まえた上で、本作の主人公である立平と青柳きわは、「愛し合う男女」でもなければ「儚くこの世を去ろうとする者」でもない。ある秘密を抱えた(抱えるしかなかった)二人は、男女の関係のような甘さもなければ、心中物のような美しい諦観の色はない。もっと痛ましく、業が深く、ドロドロとしている。それを「蛇」に譬えたところが秀逸で、作中ではそれを象徴するように”蛇の交尾”の様子が描写されている。気になった人は検索してみるといいが、二匹の蛇が互いに絡み合い、まるで一本の縄のように見えるほどで、最初(蛇の頭)まで辿って行かないと「2つの個体であることが認識できない」とさえ思えてしまう。

時代と語り部が錯綜しながら少しずつ真実へと向かうスリリングな構成

立平、そして戦地で立平の父親と出会い後妻となった秋田トモ代、戦後立平に東京での生き方を教えた友人である加来章一、きわが営む宿で働く村崎花枝…と物語は語り手を変え、また時系列も戦時中、戦後を行ったり来たりして進んでいく。物語は立平と共にいる「青柳きわ」という女性が本当に「青柳きわ」なのか、それとも戦後満州から東京に戻って来てから行方知れずとなった「秋田トモ代」なのか?という問題を投げかけ、その真相に迫るように展開されていく。

この物語レベルと構成レベルのそれぞれの次元において、立平ときわを周辺からジワジワと2人を囲うようにして包囲し追い詰めていく構成が実に見事で、ページをめくる手も加速度的に上がってくる。

本作の「きわか?トモ代か?」という問いは、獲物を丸のみにする蛇の特性も重ねられているのかもしれない。(どちらがどちらを呑み込んだのか…)

表紙カバーの富士がすばらしい!

本作の表紙カバーは片岡球子の《三国峠の富士》だ。「蛇」でもなければ、(古典的な)「道行」らしさもない、むしろ煌々とした強さをもつ強烈な色彩と聳え立つ富士。どうしてこの作品なのだろうと手に取った時は思っていたが、読み終えるとこの作品であることの意味が分かった気がする。「この表紙が伏線になっているじゃん!」と思わず思ってしまう程、読み終えてしっくりくる装丁だ。

作中に登場する「お富さん」って?

作中、立平の友人である章一が戦後に流行った流行歌を口ずさむ。曲は、春日八郎の「お富さん」。曲はこんな感じ。

戦後の流行歌だが、そもそも「お富さん」とは、歌舞伎の『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』という作品が題材になっています。通称『源氏店(げんじたな)』、『切られ与三』『お富与三郎』と呼ばれ、現在でも人気の作品。

『与話情浮名横櫛』あらすじ
 木更津の海岸で互いに一目ぼれしたお富と与三郎。しかしお富は地元の有力なヤクザの親分・赤間の妾。赤間の隙をうかがって密会していた二人だったが、関係がバレてしまい、与三郎は赤間に体をズタズタに斬られ、命からがら逃げたお富は海に身を投げる。
 3年後の鎌倉、お富は海で助けてくれた和泉屋多左衛門の囲い者として鎌倉で暮らしていたが、そこに無頼漢の”蝙蝠の安”と頬かむりをした男が訪ねてきた。その男こそ今では”切られ与三”と呼ばれる与三郎であった。

婀娜な姿が美しい女、それ故に男から男へと移って行くお富と、そのお富のために傷だらけになり人生を大きく変える異なった与三郎。この男女のイメージが立平ときわ(トモ代)に重ね合わせられている。

蛇、道行、お富さん…と様々なイメージを借りながら編まれる、立平ときわという、ヒリヒリとした絶望を抱えた二人の物語は、誰もが”キレイで清い”ままでは生きることができなかった時代に、生きるために生き、生きるために汚れていくしかなかった、苦くて胸が締めつけられる物語である。

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