【レビュー】絵画と写真の共鳴する空間「柴田敏雄と鈴木理策」@アーティゾン美術館

美術

7月10日に最終日を迎えたアーティゾン美術館の「柴田敏雄と鈴木理策」展。実は6月17日にも夜間開館の時間に行ったのですが、本展と同時開催の「Transformation 越境するアート」展と合わせたらとても1.5時間では足りなかった。

ということで、展覧会最終日に「おかわり」として、改めてアーティゾン美術館を訪れました。普段同じ展覧会(しかも展示替えなし)を2回行くことなんてほとんどないのですが、それだけ魅力的な展覧会。

この記事では、展示の様子を写真をふんだんに掲載してご紹介します。

ジャム・セッション--セザンヌからまり、写真と絵画の表現に迫る

「ジャム・セッション」とは、アーティゾン美術館のコレクションの中核である近代以前の美術作品を題材に、現代のアーティストがコラボレーションをする企画展。本展で新たに制作された現代アーティストの作品は美術館の新しいコレクションとなります。

これまで鴻池朋子や森村泰昌などのアーティストが参加したジャム・セッション。今回は写真家である柴田敏雄と鈴木理策。2人が共に影響を受けたセザンヌを中心に、西洋からはモネやマティス、ボナール、ジャコメッティなど、東洋からは雪舟の水墨画や円空の仏像といった、様々なコレクション作品とコラボレーションしました。そしてその結果、「絵画」と「写真」が共鳴する、至高の展示が誕生しました。

セクション1:柴田敏雄 ―サンプリシテとアブストラクション

藤島武二《日の出》
柴田敏雄《山形県尾花沢市》2018

第1章は「柴田敏雄サンプリシテとアブストラクション」。聞きなれない言葉ですがサンプリシテとはフランス語で「簡潔化」、「アブストラクション」は英語で「抽象」を意味します。ダムや橋、擁壁(山などの斜面が崩れるのを防ぐ構造物)を撮影する柴田の写真は、構図や一定の間隔で設置(造形)される構造物の均質さから、抽象絵画とも称されます。

近代絵画の巨匠の一人・セザンヌも、奥行きや立体感を忠実に再現し「リアリティ」を求めていた時代から脱却し、色と線を単純化させ、キャンヴァスという二次元だからこそできる表現を追求した画家でした。そうしたセザンヌの作品をはじめ、マティスやモンドリアンの、絵画の”平面性”や”点描”による作品と柴田の写真が呼応するように展示されています。

《埼玉県秩父市》

セクション2:鈴木理策 ―見ることの現在/生まれ続ける世界

鈴木理策《海と山の間E-34》2006

次の章は、鈴木理策が、モネとクールベの作品とコラボレーションします。モネの代名詞である睡蓮の作品。ここに鈴木は写真家として3つのレイヤーに注目します。つまり「水面に映った像」「水面より上の実景の像」「水中の像」の3つの像を等しく画面の中に描いているのです。

一方、写真ではピントをその全てに合わせることはできない。しかし言い換えれば「恣意的な改変」ができず機械的な「今」を写すことはできると考えます。モネと鈴木、絵画と写真の「見る」という行為の違いとはどんなものでしょうか。

また、アーティゾン美術館が所蔵するクールベの作品2点《雪の中を駆ける鹿》《石切り場の雪景色》はどちらも雪景色を描いた作品です。そこから鈴木が北海道や青森の雪景色を撮影した作品が展示されています。

クールベの雪から覗く岩肌のザラザラ、ゴツゴツした感じが、鈴木の写真にも見られ、どんどん写真と絵画の境界が曖昧になっていく感覚に襲われます。

セクション3:ポール・セザンヌ

左より柴田敏雄《高知県土佐郡大川村》、ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》、鈴木理策《サンサシオン09,C-58》

3章では、柴田と鈴木の両名に影響を与えた「ポール・セザンヌ」に焦点を当てます。ここでは特に柴田はセザンヌの平面性と共通する作品、鈴木はセザンヌのアトリエを訪れた際に撮影した作品が並びます。

《東名高速道路牧之原サービスエリア》《常盤自動車道守谷サービスエリア》《常盤自動車道友谷サービスエリア》《東名高速道路鮎沢パーキングエリア》
《サンサシオン09,C-83》《サンサシオン09,C-84》

セクション4:柴田敏雄 ―ディメンション、フォルムとイマジネーション

この章では、引き続き画面の平面性に注目していきます。コレクションから選ばれた作品は、ヴァシリー・カンディンスキーの《3本の菩提樹》。鮮やかな色彩のそれぞれが、引いては押し、押しては引き、画面の中で互いに影響を与えています。

柴田の作品も、そうした色彩を「面的」に扱う効果を意識して、様々な建築、構造物から奥行きや立体感を排除して、フラットな面として構成する写真を多く手掛けています。

ヴァシリー・カンディンスキーの《3本の菩提樹》
柴田敏雄《埼玉県飯能市》
柴田敏雄《鳥取県日野郡日野町》
柴田敏雄《栃木県日光市》
葛飾北斎「諸国瀧廻り 東都 葵ヶ岡の滝」(メトロポリタン美術館データベースより)
よもつ
よもつ

少し余談ですが、この作品が葛飾北斎の「諸国瀧めぐり 東都 葵が岡の滝」に似てるなと思いました。滝(ダムの水)を画面の右側に配置し、奥に向って傾斜がかかるような構図(地形)といい、北斎のこの作品を狙っていようにも思いますが、いかがでしょうか?

またこのセクションで柴田は円空の仏像を2体選んでいます。1本の木から仏像を彫り出し、気の素材や鑿跡がそのまま残る円空の仏像と、立体物を平面に落とし込む柴田の写真が共鳴します。

セクション5:鈴木理策 ―絵画を生きたものにすること/交わらない視線

ここでは、ボナールの絵画、ジャコメッティの彫像と絵画、マネの肖像画と共に、鈴木の様々な試みが展開されます。ボナールの《ヴェルノン付近の風景》からは、カメラも愛好したボナールが、画面の周囲を意図的に湾曲させぼやかせるように描かれています。これは、キャンヴァス上に人間の視界が捉えた像そのままを描こうとしていたと考えられます。

そうした作品と共に、鈴木による、木々を写した写真、そして様々な角度、アングルから撮影したリンゴ樹の写真が並びます。

(左)ボナールの《ヴェルノン付近の風景》、(右)鈴木理策《近くの感光版 18,PS-345》

また鈴木が取り組んでいたミラー・ポートレート(モデルが鏡の前に位置し、その鏡に映った像を撮影する。そのため実際とは左右が反転した像)の作品群を、美術館所蔵の古今東西様々な肖像画と共に展示します。モデルと画家の関係は、「見る/見られる」関係ですが、ミラー・ポートレートでは、作家がモデルを直接見ることなく、鏡越しの世界を映します。つまり、その像は、見られるという意識が薄まったモデル(あるいは「見る」者がモデルそのもの)の姿であり、「見る/見られる」の関係性に、これまでの芸術表現とは異なる在り方を示しています。

続くセッションは、ジャコメッティの胸像、絵画、デッサン。絵画や素描を展示しているのは、ジャコメッティがモデルを描く際に何度も書き直していたということから。「今目の前のものをどう表すか」と苦心することは、すなわち「今どう見ているか」を問い続けることでもあります。

ジャコメッティの胸像の脇に、その彫刻を撮影した鈴木の作品、正面には鏡を設置した展示は、ポートレートの「見ること」との関係性も引き続き意識されています。

アルベルト・ジャコメッティ《ディエゴの胸像》
《Still Life 21,ST-128》

セクション6:雪舟

最後の章は、室町時代の画僧・雪舟の《四季山水図》との競演。水墨画を大成した雪舟の山水画は、しばしば独特の空間構成を成しています。とくに遠景の屹立する崖の表現は、立体感が消え、どちらが図でどちらが地か分からなくなることさえあります。

そうした独自の空間を画面の中に表した雪舟と、現代の写真家である柴田と鈴木が対峙します。

柴田敏雄《グランドクーリーダム、ダグラス郡(ワシントン州)》
雪舟《四季山水図》四幅
鈴木理策《White 07,H-17》《White 07,H-18》

柴田の作品は流れるダムの水を上から見下ろして撮影したものですが、ダムの上が画面の下側になっており、そこから下をのぞき込む構図になっています。一般的に画面の上が高いところ、下が低いところと認識することを逆手にとり、逆転させます。また奥行きを認識するパースペクティブの補助線になるものがないため、見た時に「これはどういう事??」と混乱してしまいます。

柴田の作品が構図やアングルによって、意識的に三次元の立体的な空間を平面的にするのに対し、鈴木は雪という自然現象と雪舟の余白に注目します。世界を覆いつくす雪景色は、画面から奥行きを隠し、また木々などの姿をより際立たせる”余白”となります。

このセクションの興味深い点は、雪舟の水墨画を中心に、左右に「白の世界」と「黒の世界」が展開されているという展示の仕方。まるで雪舟の白黒の世界からそれぞれの色を取り出したかのよう。

セクション1,2,4,5は、柴田、鈴木がそれぞれ古典作品と共演していましたが、セクション3のセザンヌと、セクション6の雪舟は、三者競演となっています。柴田、鈴木の両名がそれぞれセザンヌや雪舟の作品からどういった特徴を抽出するか、そのアプローチの違いが端的に表れていて面白かったです。

よもつ
よもつ

最後の「雪舟」のセクションのみ3Fの常設展のエリアにあったのですが、このことを5Fのエスカレーター付近で周知した方が良いのでは??と思いました(私も1回目に来た時は3Fも通りましたが、閉館時間直前という事もあって全く気づきませんでした)。
全員が必ず3Fの展示室に入るとは限らないし、3Fの中でも奥まったスペースにあるので、5Fで本展の展示が終わったと思ってしまう人もいるのではないかな…と思いました。

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