2022年もあとわずか。ということで、私が今年観た展覧会のうち、「これは見てよかった」と思うベスト10をご紹介します。
鑑賞当時、レビュー記事を書いた展覧会についてはそのブログ記事のリンクもつけているので、お時間があればそちらも読んでみてください。
「奇想のモード」展@東京都庭園美術館
私の2022年の展覧会初鑑賞となった「奇想のモード」展。アールデコ調の調和のとれた上品で優美な旧朝香宮邸で、当時のファッションのモードから現代の作家まで「奇想」な作品が展示された展覧会。
それが意外にも見事な空間を作り上げていて、大変興味深かった。また、玉虫を使った19世紀フランスのブローチから始まり、最後は再び玉虫を使った現代作家の作品で終わるという伏線の回収の仕方もニクイ演出で面白かった。
ちなみに、鑑賞後に、この展覧会から着想を得た短編小説「玉虫の夢はピンクに踊る」をnoteの方で公開したので、興味がある方はぜひこちらもご照覧ください。
「歌枕」展@サントリー美術館
サントリー美術館は、日本美術を知るなら東博の次に訪れるべき美術館だと常々思っているのだけど、今年の展覧会のラインナップの中でも、特に「サントリー美術館らしさ」を感じるのがこの「歌枕」展。
何とも言えずこのテーマのマニアックさ(笑)東博だったら1章にも満たない、1節(セクション)、いや、1コーナーぐらいでしか扱わないだろうピンポイントというかミクロの視点。でもこのミクロな視点で1つ1つ丁寧に言葉を尽くして、扱っている作品の魅力をひも解こうとするさまが実に心地よい。
「歌枕」とは、例えば「桜=吉野」「紅葉=竜田川」というように、和歌の世界で特定の心情(情景)と結びついた場所のことを指し、そうした場所は工芸や絵画の世界でも繰り返し描かれるようになっていきます。
行ったことはないけど、すでに知っている「あの場所」。和歌や文学によってイメージが繰り返し繰り返し使われることで、1つの場所に特定のイメージが結び付き、またそのイメージを求めて旅するものが現れる。言葉と、場所と、人の関係が面白いと感じた展覧会。
「燕子花図屏風の茶会」展@根津美術館
根津美術館が所蔵する国宝、尾形光琳「燕子花図屏風」。根津美術館では、毎年カキツバタが咲く5月に合わせて「燕子花図屏風」を展示する展覧会が開催されていますが、この作品がかつて茶会で用いられた際の道具類を再現した展覧会。
これは茶道を習い始めた身として、日本美術を勉強してきた身として、絶対に見ておくべき展覧会と思って観に行ったのだが、
のけぞりそうになるくらい贅と趣向に尽くされた茶会だった。展覧会の構成も本当に茶会に招かれたような気分にさせてくれた。展示作品1点1点の満足度は、この展覧会がダントツ。
図録が作られていなかったのが非常に残念。
「ジャム・セッション 柴田敏雄と鈴木理策」@アーティゾン美術館
アーティゾン美術館の展覧会はどれも趣向に富んでいて、毎回ワクワクしているのだが、この展覧会もさすがの一言。「ジャム・セッション」とは、現代の作家が美術館所蔵の作品とコラボレーションして作る展覧会で、毎年開催されている’(これまでは鴻池朋子や森村泰昌が参加)。
写真家の柴田敏雄と鈴木理策がこれまで撮影してきた写真シリーズは、モネ、セザンヌ、マティスといった西洋近代絵画の作品と共鳴する。
「写真」だからこそできる技術を駆使して、近代西洋美術の巨匠たちが描いた世界を再構築(再解釈)しており、「絵画」と「写真」のそれぞれのメディアの魅力が際立っていた。
同時開催の「Transformation 越境するアート」展も見どころが多く、とてもじゃないけど時間が足りなかったので、最終日にもう一度訪れた展覧会。それだけ衝撃的で魅力的な展示でした。
「幻想の江戸-異文化のまなざしに映った他者・表象・言説-」展@北区飛鳥山博物館
幕末に日本に来た外国人から見た「王子」という場所の表象を見ていく展覧会。料亭が立ち並び、春になれば飛鳥山では桜が見ごろを迎える行楽地として、「王子」は日本のみならず、外国人をも魅了した。彼らは「王子」をどのように捉えたのかを、当時の紀行文などからひも解いていきます。
私が本展をベストテンに選んだ理由は、この他者(外国人)からの視点、称賛を手放しで喜んではいない点。「地元の博物館が、地元の人に向けて、地元の歴史を紐解いて、地元の良さを再認識する」という”地元礼讃”という無邪気な展示なのかと思っていたが、とんでもなかった。
他者によって都合のいいようにラベリングされて、その期待に応えるようにその地に住むものがさらにそのイメージを強化するようにふるまう…その危うい関係にまで言及されていたのが良かった。
今年観た展覧会の中でも一番の”骨太”な展覧会。見た目(会場の規模)に対して、内容の充実度(学芸員の狙い)が詰まりに詰まっていて、骨密度が高い展覧会でした。
「メメント・モリ」展@東京都写真美術館
ラテン語で「死を想え」という意味の「メメント・モリ」。コロナ禍で嫌でも「死」という概念に意識を向けなければいけなくなった昨今において、この展覧会の存在意義は非常に大きかったのではないでしょうか。
洋の東西の様々な写真家たちが捉えた「死」、そして「生」。一瞬の出来事を永遠に紙の上に焼き付ける写真というメディアは、「死」と「生」を考える上でも非常に有効な技法だと感じた。
特に、マリオ・ジャコメッリの作品をまとまってみることができたことが私にとっての収穫。雪の上でダンスを踊る修道士たちの写真をネットで見た時からずっと気になっていた作家だったので、この「メメント・モリ」展で見ることができたのはうれしかった。
『ゴールデンカムイ』ファンとしては、東京都写真美術館の「はこだて展」もランクインさせたいところだった。
「篠田桃紅展」&「夢の浮橋」
今年はこの作家と出会った1年だったと言っても過言ではない「篠田桃紅」。その出会いをもたらしてくれた2つの展覧会が東京オペラシティアートギャラリーの「篠田桃紅展」と菊池寛実記念 智美術館の「夢の浮橋」展。
オペラシティアートギャラリーでは、広々とした空間に桃紅のシャープな線が冴えわたり、桃紅が引くストロークから世界が広がっていくイメージ、一方で、桃紅の菊池寛実記念 智美術館は、暗い展示室の中で桃紅の芸術が凝縮されており、世界がどんどん彼女の引く線に収れんされていく印象。
作家の生き様にも感銘を受け、またそれぞれの美術館での鑑賞体験も非常に楽しかった。同じ作家の展覧会でも、空間や作品の展示の仕方で真逆な印象を受け、非常に貴重な体験となった。
「板谷波山の陶芸」展@泉屋博古館東京
まるで薄いヴェールをかけたような、淡い色調で滑らかな質感の器「葆光彩磁(ほこうさいじ)」を確立した板谷波山。その波山の生涯と芸術をみていく展覧会。
板谷波山の作品は、これまで工芸がテーマの展覧会で数点見る機会があったくらいで、作家の生涯や葆光彩磁以外の作品について知る機会がなかったので、この展覧会は非常にありがたかった。きめ細やかで繊細な作品とは裏腹に、貧しくても納得いかない作品は世に出さないという強い(激しい)生き方だったとは知らなかった。
もっと世間に知られていい陶芸家だと思うので、泉屋博古館でこれだけの規模で回顧展が開催されたことがうれしい。
「李禹煥」展@国立新美術館
現代アーティスト・李禹煥の大規模な回顧展。行きたいと思っていたのに結局閉幕ギリギリになったけど、心底間に合ってよかったと思った。
李禹煥もいろんな美術館の特別展や常設展で1点~数点見ることはあっても、それまでつかみどころがなくて説明を読んでもいまいちピンと来ていなかった。今回これだけの規模で画業の変遷をたどりつつ、作家の代表的なシリーズをまとまってみることができたことで、李禹煥という作家が何をしたかったのか、というのが言葉ではなく体感として理解できた。
この展覧会は音声ガイドにも助けられた。(音声ガイドでの解説を前提としたつくりにもなっているが)音声ガイドがあるのとないのでは全然理解度が違う。現代美術においてはやはり今回くらいの解説を全員が享受できるようにしてほしい。
「ゲルハルト・リヒター」展@豊田市美術館
リヒター展は東京で見ることができなかったので、意地でも見るぞ、と思って豊田市まで行ったが、個人的に人生初の豊田市美術館を体験できたこともあって、とても心に残る時間となった。
リヒターも李禹煥同様、作品をちらほら見る機会があっても、全体像がつかめずにいた作家だったので、今回の回顧展でようやくその糸口がつかめた。
本展は特に《ビルゲナウ》が素晴らしく、この作品のためだけに豊田市まで来た甲斐があると思えた作品だった。この作品と出会えたことが今年の私の鑑賞体験の中でも大きな財産だったと言える。
ずっとつかみどころがないと思っていたが、そもそもリヒターが「絵画」と「写真」の間、「イメージ(像)」の不確実さ(不安定さ)をあらゆる手法で表現しようとしていたと理解した。そこから、物事を簡単にカテゴライズして安心することの危うさにも気づき、改めて興味深い作家としてこれからも見ていきたいと思った。
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